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Dépôt de Météorites

漢字ドリル

ノートを広げて、漢字のドリルみたいな問題を解いている。
「椎間板」という問題があり、椎間…まで書いて、次が版だか盤だか板だか一瞬わからずにペンを止めた。そこへ父がやってきて、ふんと鼻で笑い、そんな問題もわからないで将来何になるつもりだ、よもや弁護士だの一流の職業につけるなどと思ってはいないだろうな? と皮肉って去っていった。


これだけの夢だけれど、発見があった気がした。
父は私にいい成績を取らせ、自分が得意になることで根深い劣等感をごまかし、そうやって私を利用していたけれど、それだけでなく私を軽蔑し貶めることで、自分より高く飛翔して行かないように翼を折ろうともしていたのだということにはっきり気づいた。双方の圧力を同時に受け、身動きも取れずに苦しんだのだということに。いまでも、父は私達に依存しながら、私達を下に見て軽んじることでかろうじてプライドを守っているのだということにも。

 

私を見つめている私

不安にもなり 心乱れるけれど ふとした瞬間に
いま 私はしあわせだ ってしみじみと味わうことがある

色んな思いが過っても 眠れなくて考え過ぎても
それをやさしく見ているまなざしと ひとつになれていると 感じられる時がある

どんなに揺らいでもいい しなやかに基準点へと戻るから

黄色い水玉模様の水晶

大切にしている水晶玉がある。手のひらに収まるくらいの大きさで、ほぼ透明なクリスタルだけれど、ところどころ黄色い水玉模様のようになっていて、シトリンが混じっているようだなと思った。内部には白く濁ったインクルージョンがたくさんあり、不透明な部分が多い。握るとちょうど誂えたように自分の手に馴染み、体の一部のように感じる瞬間さえある。

私はその玉を肌身離さず、バッグに入れて持ち歩いていた。繁華街、かつてCプラザという建物があった付近の路地で、その水晶玉をバッグから出して手にとった。
なぜか玉は少しだけ弾力があって、ゴムの玉のような感触があった。薄暗い路地で、黄色い水玉模様もくすんで映った。石の元気がないみたいだ。なぜだろう。触っていると、ますます水晶玉はブヨブヨとしてきた。内部の濁っていた部分がだんだん透明になってきて、氷が溶けてきたみたいに思えた。

水晶玉は、プツンという聞き取れないほどの小さな音を立てて、崩壊した。水風船が割れたみたいに、中の水が溢れそうになった。私は慌てて手のひらでそれを掬うように受け止めた。
よく見ると、黄色い水玉の部分も小さな水風船でできていて、外の大きな水風船に幾つもの黄色い水風船が内包されている形だった。黄色い水風船は破裂はせず、中の水はいつの間にか自然に排出されて、小さくしぼんでいた。黄色い風船の一つには、黒いマジックインキで見知らぬ名前が書かれている。子供の書いた字のように見えた。どこかの小学校から盗まれたものみたいに。

高次のエネルギーを媒介する交信機のようにすら感じ、信頼し愛していた水晶玉が、とたんに胡散臭いものだったように感じられ、激しく戸惑う。その石に裏切られたというよりは、自分自身に裏切られたような心持ち。体幹が冷たく痺れるような感覚。

ベーシックインカムについて思うこと

ペーシックインカムについていろいろな意見を聞くけれど、感覚的に、世界はこれを取り入れていく方向に動きそうな気配がする。
過度な競争から逃れ、本来の人間らしく、のびのびと生きるために、新しい地平線が開けているような感覚があった。
大した知識もないし、理論やデータで武装できないし、する気もないのだけど、なんとなく直感的に惹かれることを、それが正しいのかどうか考えてみることは必要。検証してみて意見が変わることは殆ど無いのだけれど、直感を信じるために、補強するためにしている感じかな。

ペーシックインカムを導入すれば人々が働く意欲をなくし、労働時間も所得も減るという考えもある。
労働時間が減れば、個人がより充実した人生を送ることができる。もしかすると労働効率は良くなるかもしれないと思う。残業代のためにだらだらと時間だけ長く働く日本人の多いことを思えば、短時間集中で働けばさほど生産性は下がらないかもしれない。

ある程度の額をもらえると言っても、それでは豊かな暮らしには不十分なのだし、自分の望むだけの金銭的豊かさを自分で選択することができ、最低限でいい人はそれで構わないだろうし、より豊かになりたい人は国から受け取る以上に稼ぎたいという意欲を失うことはないと思う。誰しもが最低限の生活のために労働に身を捧げる奴隷である必要がなくなる。余剰の部分を自分次第にできるのは、決して悪いことじゃないと思える。
それで国全体の経済の規模がそんなに縮小するかと言ったら、多分それほどじゃないような気がする。

今回の給付金も消費せずに殆どが貯蓄に回っているというデータから、ベーシックインカムを与えても国民は貯蓄するばかりで、経済が活性化されないのではという声もある。
貯蓄するのは将来の不安があるから。一時的な給付であれば、使えばなくなってしまうので大事にとっておきたくなるけど、継続的に給付されるのなら話は全く別で、またお金は入ってくるとわかっているので、もらった分は使うという割合は格段に上がるはず。将来的に生活が困窮するという不安も払拭されれば、なお安心感が広がって、溜め込もうとする行動は減るだろうと思う。多くの人は消費をしたくないわけでなく、仕方なく我慢しているだけ。

日銀がETFを買い続け、無理やり株価を吊り上げるくらいなら、ベーシックインカムに当てるほうがずっとマシではないかな。株価をいくら上げても実体経済と乖離していて、世の中にお金が回らないことはもう充分に証明されている。トリクルダウン(上が豊かになれば波及して下も豊かになるという考え)は起こらないとわかってきているのに、まだそれに期待し、固執しているのだとしたら馬鹿らしい。

「水のように大抵のものは上から下へと流れる。たったひとつ下から上へ流れるものがある。それはカネだ。」
このまえ何かのドラマでこんな台詞があって、上手いこと言うなと思った。
確かに、お金を下から上へ巻き上げてしまうのが今までの社会だった。その流れを中和することが必要。そのための一つの手段として、ベーシックインカムは有効となるのではないかな。

ただ、代わりに社会保障のすべてを廃止してしまうのは違うし、特に医療保険は死守しなければいけないと思う。全てを自己責任にして、政府は放任すればいい、という方向に持っていくためにベーシックインカムが利用されるのでは意味がない。

今は大きく世界の潮目が変わるとき。渦に巻き込まれてどこに動いているかさえわからなくなりがちでも、遠くのビジョンを保っていたいと願う。とりあえず理想論でも机上の空論でも良いと思う。視線の向いている方向が大事。近視眼的でいると渦に飲み込まれてしまうかも。

万国旗のような洗濯物

真っ暗な闇の中に立ち尽くしている。重く、粘り気のある闇だった。自宅の前の道路にいるようだ。ようやく闇の中にぼんやりと見慣れた壁と窓、屋根を見上げることができた。
私はこの世界に存在することを心底嫌がっている。もう嫌だ、どこか別の世界へ旅立ちたいと、抑えても湧き上がる思いを牛のように、長いこと奥歯で反芻していた。

庭のなかを、父が歩き回るのが、闇の中に薄っすらと浮かび上がって見える。用もないのに、一日に何歩歩くと自分で決めたノルマを消化するためだけに、ぶつぶつと数を数えながら歩き回る。(現実にしていることと全く同じだった)
父とはまるっきり違う次元に存在していて、手を伸ばしてもすり抜けてしまい、触れ合うことは決してないのだと直感的に知る。

ふと、空っぽのガレージの、屋根を支えている支柱にぶつかりそうになる。真っ黒な闇の中に聳え立つ、闇よりもっと真っ黒な支柱が、突然私に殴りかかってくるように感じた。それは支柱が動いているのではなく、私のほうが空中を浮遊しているのだと気づくのに時間がかかった。ホパリングする、無色透明の雲のようなものに乗っているようで、雲が不規則に左右に揺さぶられるたびに、黒い支柱が目の前を行ったり来たりする。

意を決して、瞳を閉じる。雲が私をどこかへ運んでいく。その上に寝そべった形で、瞼の裏の闇を見つめた。雲は激しく上下したり、スピードを出したり緩めたり、気儘に動き続けた。途中で闇を抜け、なんとも言葉に出来ないような光、多様な色彩と密度の中を進んでいった。瞼の裏にその光を感じていたけれど、怖くて目を開けられない。

どこかへ着地した。懐かしいようなくすぐったいような感覚をもたらす柔らかな陽射しが、瞼の血管を透かして、ピンク色に輝いた。目を開けると、そこはやはり、自宅の庭だった。芝生状の緑の上に寝転がっている。燦く陽光に、世界は今にも歌いだしそうだ。
万国旗のように賑やかに、色とりどりの洗濯物が干されている。何十着、何百着とも思えるほどの大量の洗濯物が、優しい風に揺れている。中に、見覚えのある黄色いタオルがあった。クマのアップリケが付いている。見回すと、色違いの白いタオルもあった。そんなタオルは記憶に無いのに、なぜ見覚えがあるのだろう? 不思議に切なく、息苦しく、心が締め付けられるような郷愁を感じる。私は起き上がり、洗濯物を掻き分けて、母を探した。

母は、縁側に座って洗濯物を畳んでいた。図体ばかり大きくなった私を受け容れてくれないのではないかと、少し心配だった。私は涙声で母を呼び、母はその様子に少し驚いたようだったけれど、すぐに平素の物腰に戻った。私は大人の身体のままで、心は子供に還っていた。大人の身体がとても煩わしく感じた。日なたに干した洗濯物の温かな匂いが漂っていた。