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Dépôt de Météorites

正しい羨み方

誰かを羨ましいと思ったら
その人と同じ風になったらどう感じるだろうってイメージすると良いそう
でもなぜか そういうのってとても疲れる
今同じようにできていない自分を意識して 嫌ってしまうから?
それこそが「呪い」なんだ
自分自身を呪ってきたようなもの

立派な人に「勇気をもらった」という人が嫌いだったけど
その相手を通して 集合無意識に繋がってたというだけなんだ


相手と同じような素晴らしい考え方ができない自分を責めるのじゃなく
相手の素晴らしいところをちょっと拝借してしまえばいいだけ
それは相手から奪うことではないんだ
相手と直接つながってるのではない 与えたり奪ったりすることではない
チューニングしてその波動に合わせるというだけ

それは今まで何度も見聞きした内容だったのに
本当の意味がわかっていなかったことに気づいた
根深い劣等感に掻き消されて見えていなかった

 

時を超えた郵便物

自宅の郵便受けを開けると、幾つかの郵便物と一緒に、何やら大きな包みが入っていた。
包装を解いてみると、数枚の皿が現れた。自宅で頻繁に使っている、桜の柄がワンポイントで入った平たい皿と全く同じデザインで、花の色が橙色で描かれた色違いの皿だった。よく使う皿と同じものなので、これは実用性があり、もらっても使わず仕舞い込むだけになってしまうことはないな、有り難い。頭を過ぎったのはまずそんなことだった。
差出人は誰かを見る。見覚えのない女性の名前。首を捻りながら、添えられていた手紙を開封する。

文学的で、やや冗長な文章。思い出語りが長く、回りくどい表現が続き、言わんとすることが見えてこない。数ページの後の一文で、ようやく真意が掴めた。弟は、平成23年◯月に他界しました。学生時代、同じ学年だった男子の姉からの手紙だった。
心臓を冷たい手で握り締められたような戦慄。その男子が亡くなったのを全く知らなかった。しかも平成23年とは、何年前のことだろう。今が何年だったか、いくら考えても思い出せない。

数年前、突然思い立って、古い友人に宛てた年賀状をたくさん書いたことがあった。その時、彼宛にも送ったのを思い出す。すでに亡くなった人に年賀状を送るなんて、非礼なことをしてしまった。しかし、それに対して感じたことの結果として、この贈り物と手紙が届いたのなら、姉は万感の思いで、数年遅れの年賀状を受け取ったということになるのだろう。弟をまだ忘れずにいてくれた人の存在が胸に沁みた、そういうことなのかもしれない。
数年かかってやり取りされた郵便物を前に、緩やかな眩暈とともに、時間の感覚が麻痺していく。平成が何年まであったか、西暦に対応させると何年になるのか、それらの概念がすっぽりと頭から抜け落ちている。

この友人には、卒業後に一方的に想いを寄せられ、当惑したことがあった。当時の私は冷淡すぎるほどに、無残に切り捨てるように、彼を拒絶した。理由はなく、なぜか彼に対して、違和感、嫌悪感に近いものを感じていた。それでも、あまりに冷酷な仕打ちだったような気がして、自分の対応を悔やみ、後々まで気に懸っていた。
姉からの手紙に、死因は書かれていない。自ら命を絶ったということなのか。その責任の一端が自分にもあるような気がして、胸苦しい。時の重みが、胸のなかの小さな一点に容赦なく伸し掛かるようで。

 

金色の小箱

美しく切ない郷愁の想いに潜っていく
想いをぼんやりとしたビジョンに置き変えていく
万華鏡を覗き込むように 規則的に回転するそのビジョン
次第に引き込まれ 解像度を上げていく

蓮華の咲き乱れる草原 柔らかい風が髪を揺らす
幼い頃よく遊んだ場所に似ている

金色の小箱が置かれている 
細かい彫金細工が施され
美しく装飾されたずっしりと重みのあるその小箱
時を超えて慈しんできたとても大切な小箱であることがわかる

蓋を開ける
内部から淡い桃色の光が溢れこぼれる
甘やかな果汁がほとばしるよう
心の傷にしみるような
それでいて優しくくすぐられるような

自ら鞭打った沢山の痣が心の表面に浮かび上がり
いつかどこかで見たような不可思議な呪文を思わせる文様となって
表面に赤黒くたなびく痣に温かな色が注がれる
キャッツアイのように心の表面に煌めきが走る

自分に優しくしたい
注げる愛を一滴残らず注ぎたい
うまくできないところも 欠けているところも
全部呑み込んで温めてあげたい

言葉にするとうまく表現できない
もっともっと大きくて優しいちから
背中を優しく撫でる手のひら
髪を撫でるしなやかな指先
偉大でありながら小さくて可愛いちから

時を超えて刻み込まれた痣が滲んでやがて薄れていく
艶やかでみずみずしく滴るような光沢をたたえた
その輝きに目を奪われる
見惚れるようにまるいその心

 

踊る花のオブジェ

中華料理店から出前が届く。2人前のチャーハンと餃子は、まるで宮廷料理のように細かい細工で飾り立てられ、高級感が漂っていて驚く。これ、どこから取ったっけ? 母に訊くと、大通りに出たところのパン屋さんの先にある店と答える。そんなところに中華料理店があったのを思い出せない。赤い外装の店構えは記憶にあり、○○軒と白い字で書かれていたのはぼんやりと覚えている。
早速食べてみる。本格的過ぎて、取り澄ました味。日本人好みにアレンジされていない、本場の味はこんななのかな? 母と話しながら食べるけれど、二人とも箸が進まない。

テレビから、お世話になった中華料理店に、日頃の感謝を込めてお礼をしたという高校生の美談が流れてくる。
その男子高校生は、昔あったフラワーロックというおもちゃに似た、花が踊る仕掛けをプログラミングしたという。頭の部分は黄色い水仙のような花で、体はリアルな人間の体の形状をしていた。スリムでスタイルのよい男性の体に真っ黒なタイツを着せたような感じ。音楽に反応して、韓国のボーイズグループみたいにキレの良いダンスを始めた。どの音に反応してどんな動きをさせるか、とても苦労したと高校生は語った。
高校生がお世話になったという中華料理店は、いつも閑古鳥が鳴いていて、この花のオブジェが集客の助けになればいいと思ってプレゼントすることにしたと、彼は素直な瞳をして語っていた。この踊る花のおかげで沢山の人が集まり、古びて地味だった中華料理店は、連日の大盛況だそうだ。

そんな都合のいい話があるかい。私は冷めた目で画面を見ていた。踊る花の開発経過までテレビの取材が入っているのに、明らかなヤラセじゃないの? どこかわざとらしい美談に生理的嫌悪感を感じる自分は、心根がねじ曲がっているのだろうか? いや、直観力や洞察力が優れているだけだよ。内側で二つの声が揉め続ける。

 

欲望と犠牲

韓国歴史ドラマ『六龍が飛ぶ』 終了。
欲望に忠実な人って魅力的。自らの欲望を、自らの意志で肯定できる人っていうのかな。
持て余すほどの才覚と胆力があって、それを埋もれさせて生きることは、何より耐えられない。一人の生身の人間としての、恋慕も友情も尊敬もあった上で、血も涙もない悪魔では決してなく、葛藤の先に自ら選び取った道だから。残忍であっても非道であっても、輝かしい。欲望が叶い行くのと引き換えに、周りの人々が一人ずつ背を向けて行ったとしても。そのひとつひとつの選択を、心の揺らぎを、共に見届けてきたから。

歴史の中でどんな役割だったかが重要なのではなく、個人の内面を克明に描き出すことに重きを置いている。実在した李氏朝鮮王朝第3代王がどんな人だったかを、直接知る人はいないのだし、史実として残されている人物像と全然違っていたって構わない。
これだけ魅力的な人物造形をされたら、ご本人だって許してくれるでしょう。

政治という権力争いの中で、どんなに高邁で美しい理想を抱いていても、謀略に手を汚さずには進めないという悲しさ。理想の形がほんの少し異なるだけで、その相違が絶対に許せない一点であればこそ、血で血を洗う道しか残されていない。一時は共に手を携え、同じ夢を見た仲間が、政敵となって潰し合うしかない。対立に次ぐ対立は、宿命的に繰り返されるリフレイン。同じ主題を奏でるしかない。
そこで必ず犠牲になるのは、敵でも味方でもなく、人と人の間に流れる、温かな情なんだ。柔らかな肉体が剣の前で無力なように。

一人の人の人生を時系列に沿って並べただけ、歴史の真実にひとつでも背いてはいけないという足枷をつけられた時代劇は、綺麗事ばかりで全く面白くない。
どんな偉人の人生だって、人生をそのまま縮尺したようなものではストーリーとして成立しないし、退屈なものにしかならない。ドラマは構造、骨格が命。それがしっかりして初めて人物の内面を掘り下げて見せることができる。他者との対比によって、時間軸における対比によって、人物が配置され、出来事が配置されなくては。

だから、歴史そのままを描くべきという考え方には私は反対。むしろどんどん脚色して、物語としてよりエキサイティングに、より心震えるようなものに作り変える方が好き。
歴史なんて、後の権力者の側から見た視点で描かれたものだし、所詮、本物の真実は当事者しかわからないんだから。

登場人物が皆魅力的で、確かに血が通っていることが素晴らしいと感じた。「コスプレ」じゃない。同じようなステレオタイプな展開、カタルシスだけを求めるようなものとは大違い。
韓国の歴史をよく知らないからこそ、新鮮な目で見られて、純粋に楽しめる。知らなくても楽しめるのは、骨組みがしっかり組み立てられてある証でもある。
今の日本の時代劇を、日本の歴史を詳しく知らない外国の方が見て、感情移入して楽しめるかというのはちょっと疑問。歴史を知ってることを前提に作ってある気がするし。知識の後ろ盾がなければ、物語自体はふにゃふにゃなのが多いように思えてしまう。

歴史を見せるのじゃなく、歴史はただの舞台装置として、あくまで人間の本質を鋭く描き出して見せるのが、韓国の歴史ドラマの魅力。その上で、シンプルに誰もがエンターテイメントとして楽しめる作品となっている。

俳優陣も皆、はまっていた。主演ユ・アインの求心力ある演技がすごいのは知っていたけれど、高麗一の剣士役ピョン・ヨハンの繊細さと翳りに惚れた!