かつては抗不安薬ソラナックス(アルプラゾラム)を毎日定期的に飲むように処方されていた。20年以上前はそれが医療の常識だった。いまでは依存性があるということで、頓服で症状を抑える目的でしか飲んではいけないことになっている。それが今の医療の常識で、たかだか20年でこんなにもコロコロ変わるかとびっくりする。今回よく効いた抗鬱薬(SSRI)レクサプロも20年前にはまだ認可されていなかった。
アルプラゾラムは私にはとても合うのか、良く効いて嘘みたいに楽になる。こんなに効く薬が存在していいものかと思うくらい、何かの嘘か幻覚かと思うくらい効く。だから逆にすごく怖い。服薬を止めていくときにはとても苦労したのを覚えている。消えていた不安が数倍になって襲いかかって、四肢を噛みちぎられるようだった。こんな薬を毎日漫然と飲まされていたなんて今思うと恐ろしい気がする。
精神医療はまるごと信頼してしまっていいものじゃないように思えるし、こんなふうにすぐに変わってしまうものだし、薬には効き目と同等かそれ以上の副作用があり、やじろべえみたいにフラフラしながらその間の丁度いいところを歩く、そんな苦行。
医師はマニュアル通りに対応するのがお仕事で、お仕事以上のことは決してしない。個人の状態を細かく聞き取ってそれに対処しようとなどすることはない。そんな時間もないしシステムがそうなってないから、医師が悪いわけでもないんだろう。副作用が強いと言えば薬を減らしてみますか? 症状が再燃したと言えばまた増やしましょうか? この頃副作用のせいか目眩が強くて…と言えば耳鼻科に行ってみますか? 医師は提案するだけで、判断は私がするしか無い。自分で判断してその結果を自分で刈り取る。肉体の病気で対応策が明確なものとは違うんだということを痛感させられる。
アスパーガールの60%くらいが二次障害としての鬱状態にひどく苦しむことがあるそうだ。自分で自分の主治医になって、どうやったらいちばんはやく、苦痛が少ない方法で嵐をやり過ごすことができるか、自分なりの方法論を身につけていることが多いそう。たしかにそうするしかないもの。私もそうしていかなければいけない。20年30年選手なのにまだまだ模索状態という出来の悪さ。今はレクサプロを完全に断薬して二ヶ月ほど、このまま行けるといいな。
できることは結局、駄目な自分を受け容れること、これに尽きる。どんなに休んでも休み過ぎだと責めないこと。出来ないことをあげつらわないこと。言葉にしたらどれだけ単純なことか。なのにそれがなかなか出来ない。
単純なことほど難易度が高いと感じられる。大切なことほど単純な構造でできている気がする。転んでは立ち上がるということをただひたすらに繰り返し、それ自体をルーティンみたいに捉えてしまうといいのかも。また転んだ、また自分を責めてしまった、そしてその嵐をやり過ごしたという、慣れ親しんだいつものルーティンがまたやってきたと。