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隕石の堆積場

ひび割れた指

理科室のような、黒いテーブルと背もたれのない椅子が規則的に並べられた空間で、雑巾を手にしている。床にはなぜか、毛足のとても長い絨毯が敷かれていた。大勢に踏みしめられて、毛足は潰れ、ぺしゃんこに固まっている。そこへ、丁寧に雑巾がけをしていく仕事。
毛並みに沿って何度も撫でるように雑巾をかけると、絨毯はふんわりと生き返ったように活力を取り戻す。命ある動物の被毛を手入れしているかのようだった。やがて絨毯の表面には、黒とダークグリーンを基調にした細かな文様が浮かび上がり、それはどこか古代の壁画のような印象を与えた。

雑巾を洗っていると、左手の人差し指にひび割れができているのを見つける。第一関節と第二関節の間、まるでソーセージに切れ込みを入れたよう。丁寧に手を洗っているうち、赤いひびはみるみる深くなっていき、深く切れ込みを入れ過ぎて皮一枚で辛うじて繋がっているソーセージのように、今にも指先がちぎれてしまいそうになる。

自分に与えられた席に着き、黒いテーブルの上で、人差し指を固定するため絆創膏を貼る。洗いたての手がまだ湿っていて、何度貼り直してもうまく固定されず剥がれてきてしまう。早くきっちりと傷口を合わせておかなければ、二度と指が接着することはないだろう。気持ちばかり焦る。痛みは全く感じない。ただ不安と心細さだけが募っていく。

一人の男性が近づいてくる。私がずっと想いを寄せてきた人だった。彼は、私に気付くより前に、隣に座っていた女性に声をかけ、手を貸した。その女性は、私よりも明らかに大きな怪我をしている様子で、しかも目が見えていないようだ。手首に腕時計をつけようとしてうまくできず、何度も失敗している様子を見かねて、彼はそれを手伝ってやったのだった。隣に困っている人がいたのに、私はそれに全く気付かず、自分のことだけにかまけていた。自分がとても利己的な人間に思えてくる。指がちぎれるくらい大したことではなかったような、そんな気がしてくる。

彼に一声かければ、私に気づいてくれるだろうし、手当てをしてくれるかもしれないのに、喉に様々な思いが棘のように刺さり、声にならない。隣のテーブルから彼の声が聞こえる。少しだけハスキーで、ギターの弦が軋む瞬間のような独特の味わいがあり、それでいて実直で朴訥とした、麦畑を駆ける風のような懐かしい響きを持つその声。

 

致命的な失言

階段の上に岡村さんがいて、階段の下に田島さんがいた。
私は階上の岡村さんに向けて、「田島さんがお越しです。岡村さんをお探しですよ!」と言うべきところを、「岡村さんがお越しです。田島さんをお探しですよ!」と、うっかり名前を反対に言ってしまった。 

なんとも微妙な空気が流れた。二人とも、口元に半笑いを浮かべたまま固まっている。はっとした私は、慌てて失礼を詫びる。再びの微妙な一時停止の後、何事もなかったように事は滞りなく進んでいった。


くだらないけど笑えた夢で、印象に残る。なぜかこの二人、岡村靖幸さんと田島貴男さんだった。

 

時を超えた郵便物

自宅の郵便受けを開けると、幾つかの郵便物と一緒に、何やら大きな包みが入っていた。
包装を解いてみると、数枚の皿が現れた。自宅で頻繁に使っている、桜の柄がワンポイントで入った平たい皿と全く同じデザインで、花の色が橙色で描かれた色違いの皿だった。よく使う皿と同じものなので、これは実用性があり、もらっても使わず仕舞い込むだけになってしまうことはないな、有り難い。頭を過ぎったのはまずそんなことだった。
差出人は誰かを見る。見覚えのない女性の名前。首を捻りながら、添えられていた手紙を開封する。

文学的で、やや冗長な文章。思い出語りが長く、回りくどい表現が続き、言わんとすることが見えてこない。数ページの後の一文で、ようやく真意が掴めた。弟は、平成23年◯月に他界しました。学生時代、同じ学年だった男子の姉からの手紙だった。
心臓を冷たい手で握り締められたような戦慄。その男子が亡くなったのを全く知らなかった。しかも平成23年とは、何年前のことだろう。今が何年だったか、いくら考えても思い出せない。

数年前、突然思い立って、古い友人に宛てた年賀状をたくさん書いたことがあった。その時、彼宛にも送ったのを思い出す。すでに亡くなった人に年賀状を送るなんて、非礼なことをしてしまった。しかし、それに対して感じたことの結果として、この贈り物と手紙が届いたのなら、姉は万感の思いで、数年遅れの年賀状を受け取ったということになるのだろう。弟をまだ忘れずにいてくれた人の存在が胸に沁みた、そういうことなのかもしれない。
数年かかってやり取りされた郵便物を前に、緩やかな眩暈とともに、時間の感覚が麻痺していく。平成が何年まであったか、西暦に対応させると何年になるのか、それらの概念がすっぽりと頭から抜け落ちている。

この友人には、卒業後に一方的に想いを寄せられ、当惑したことがあった。当時の私は冷淡すぎるほどに、無残に切り捨てるように、彼を拒絶した。理由はなく、なぜか彼に対して、違和感、嫌悪感に近いものを感じていた。それでも、あまりに冷酷な仕打ちだったような気がして、自分の対応を悔やみ、後々まで気に懸っていた。
姉からの手紙に、死因は書かれていない。自ら命を絶ったということなのか。その責任の一端が自分にもあるような気がして、胸苦しい。時の重みが、胸のなかの小さな一点に容赦なく伸し掛かるようで。

 

踊る花のオブジェ

中華料理店から出前が届く。2人前のチャーハンと餃子は、まるで宮廷料理のように細かい細工で飾り立てられ、高級感が漂っていて驚く。これ、どこから取ったっけ? 母に訊くと、大通りに出たところのパン屋さんの先にある店と答える。そんなところに中華料理店があったのを思い出せない。赤い外装の店構えは記憶にあり、○○軒と白い字で書かれていたのはぼんやりと覚えている。
早速食べてみる。本格的過ぎて、取り澄ました味。日本人好みにアレンジされていない、本場の味はこんななのかな? 母と話しながら食べるけれど、二人とも箸が進まない。

テレビから、お世話になった中華料理店に、日頃の感謝を込めてお礼をしたという高校生の美談が流れてくる。
その男子高校生は、昔あったフラワーロックというおもちゃに似た、花が踊る仕掛けをプログラミングしたという。頭の部分は黄色い水仙のような花で、体はリアルな人間の体の形状をしていた。スリムでスタイルのよい男性の体に真っ黒なタイツを着せたような感じ。音楽に反応して、韓国のボーイズグループみたいにキレの良いダンスを始めた。どの音に反応してどんな動きをさせるか、とても苦労したと高校生は語った。
高校生がお世話になったという中華料理店は、いつも閑古鳥が鳴いていて、この花のオブジェが集客の助けになればいいと思ってプレゼントすることにしたと、彼は素直な瞳をして語っていた。この踊る花のおかげで沢山の人が集まり、古びて地味だった中華料理店は、連日の大盛況だそうだ。

そんな都合のいい話があるかい。私は冷めた目で画面を見ていた。踊る花の開発経過までテレビの取材が入っているのに、明らかなヤラセじゃないの? どこかわざとらしい美談に生理的嫌悪感を感じる自分は、心根がねじ曲がっているのだろうか? いや、直観力や洞察力が優れているだけだよ。内側で二つの声が揉め続ける。

 

因果律

まだ薄暗い早朝、校舎の階段を上っていた。煤けたコンクリートの灰色だけに支配された、廃墟のような空間。階段の途中には、新聞紙が散乱して行く手を阻んでいる。折り畳まれた大量の古新聞に混じり、スナック菓子やウエットティッシュの袋も散乱していた。それらは、なぜか全て未開封の新品だった。

そばに、石田純一風の、年季の入ったプレイボーイが佇んでいる。イタリア製のシャツとジャケット、首元にカラフルなスカーフを巻き、この殺風景な場所にどうにもそぐわない出で立ち。彼が振り向いたので、仕方なく声を掛ける。この散らかった新聞紙は一体何ですかね? 彼は、視線を泳がせて言う。僕も知りません、ただ通りかかっただけなので。

古新聞の回収の日で、私も、古新聞を詰めた回収袋を手にしていた。とにかく自分には関係ないことだから、早く仕事を済ませてしまおうと、散らかって足の踏み場もない所からなんとか足の踏み場を探し出し、階段を上っていった。空気は凍りつき、吐く息が白銀色に煙っては消えていく、その音楽的な律動を見つめる。

踊り場の隅に、若い女性がへたりこんでいる。青ざめた顔、空ろな目をして、酒に酔っているか、薬物で酩酊状態のように見えた。あのプレイボーイと何らかの関係があるのは明らかだった。女性に表情はなく、無機質なマネキンに、黒鉄色の隕石を二つ嵌め込んだかのように見えた。

この女性がしでかしたことなら、これを片付けるのは無理だろうな。無視したまま立ち去ることもできたのに、私は徐ろに、散らかった新聞紙を片付け始めた。古新聞を束ね、菓子袋もまとめて大きな袋に詰める。片付け終わると、それらは初めから存在しなかったかのように忽然と姿を消した。あとに、ペットボトルのキャップや、瓶の飲料の金属製のキャップなどが幾つか、無造作に散らばっていた。それらも透明のビニール袋にまとめて、座り込んでいる女性に渡す。放心したままの彼女は、反射的にそれを受け取る。

金属製のキャップは角が鋭く尖って、剃刀のようになっていた。もしかして、この女性は良からぬことを考えるのではないか?という思いが、ふと過った。そうだとしても、私が去った後のことはどうでもいい。彼女が生きようが死のうが、何の関係もないのだから。

やはり気になって振り返ると、悪い予感は的中した。女性は手首を掻き切っていた。
血液が脈打って流れ出し、スカートを斑らに染める。私は慌てて駆け寄り、そばに落ちていたポケットティッシュで傷口を押さえた。みるみる真紅に染まる。ポケットから白い手袋を取り出し、その上に重ね、ギュッと抑えつけた。階段の上の階からは、遠く人々の喧騒が聞こえてくる。声を張り上げて、救急車を呼んでくださいと叫んだ。喉元を見えざる手で締め付けられたかのように、声が掠れ、うまく出ない。叫びは微かな囁きに置き換えられ、上の階には届かない。沈黙が重く滞留した。女性の手首から手を離せば、動脈から血が噴き出す。身動きが取れず、額に冷たい汗が流れる。これは私の冷淡さに対する罰なのだ。きっとそうに違いない。そんな思いも、刻々と赤く染まっていく。

 

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