SITE MÉTÉORIQUE

Dépôt de Météorites

正しさが常に正しいわけではなく

小学校に上がったばかりの時だったと思う。教室の壁に張り出す時間割表を数人の子どもたちで書いていた。何曜日の何時間目、こくご、さんすう、といった具合にひらがなで書き込んでいった。
私が「たいいく」と書くと、他の子達が一斉に囃し立てた。
「たいいく」じゃないじゃん、「たいく」だよね! 全員がそれに同意していた。小馬鹿にしたように鼻で笑う子も居た。
近くで担任の先生も見ていたのに、先生は何も言わなかった。
私は自分が正しいのを知っていたけれど、ただ黙っていた。
正しいということが力を持つわけではないと知らしめられた、多分最初の機会だった。


何故だか、ふとそんなことを思い出した。
今の社会、「たいく」が正しいことになってしまっているような事象が数限りない気がして。
それが事実かどうか知ろうとしないで、大勢の人がそうだと思いたいかどうかで判断されることが。

「たいいく」が正しいと知っている人たちは、ただ黙っていることしかできない。それが正しいと主張することは無意味だと知っているから。