SITE MÉTÉORIQUE

Dépôt de Météorites

もっとも必要のない感情

猫の最期を看取ってやれなかった後悔がずっとあった。
徹夜して寄り添っていたら自分の体が持たないと思って、寝てしまったらその間に逝ってしまった。うちの猫は飄々としていて何もかも分かりきっているような哲学的な顔をしていたから、すべて承知の上でそのタイミングだったのかな。それでも自分の心配をしていたせいで看取れなかったという自責の念があったのは確かで、次の子を飼えないでいるのはそれが引っかかっているせいもあると思う。


魂が身体を抜ける時、本当に看取っていてほしいものなのか?ということを、疑問にすら感じていなかったけれど、なんとなく世間が「親の死に目に会えない」のを悪いことのように言っていたり、愛が足りないように言っていたり、それらの社会通念が刷り込まれていただけだとはっきり気づいた。
本当かどうかこの世にいる者は誰も知らないだろうけど、身体を抜ける時に愛する者に見られたくなくて、あえて見ていない時に逝く魂も多いらしい。
私が自責の念を抱き続けていることで猫も悲しんでいるかもしれない。


罪悪感と後悔は本当に何ももたらさない。その上、それを支えている信念はただの社会通念という実体のない幻なんだ。
社会通念とは、誰かがそう言っていたのを真実だと無意識的に受け入れてしまった結果。そう言っていた誰かは、また別の誰かがそう言っていたからそれを信じた。その別の誰かも同じ。噂話と何も変わらない。振り回されるほどの価値がない。