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魂が、人生の夢を見ている

夏目漱石の『夢十夜』という作品。見た夢をモチーフにした短編集。高校生の時に読んで、他の夏目漱石の作品よりむしろこれが強く印象に残った。印象に残ったということ以上に、こういうのもアリなのか!という新鮮な驚きがあった。どこまでが実際の夢の内容で、どこからか創作かわからない。独特の浮遊感のようなものと、時空の概念の崩壊。


浮世のしがらみに雁字搦めにされた気分で、何をやっても悉くうまく行かなくて、人生とは何のためにあるのか、私は何のために生まれてきたのか、というような幼い苦悩で自分のすべてを一杯に満たしていた頃に読んだ。そんな時代もまた一つの夢のようで。
生きることそのものが長い長い夢なのだろう。私という魂が、私という人生の夢を見ているんだ。

 

夢日記をつけ始めたのも、意識はしていなかったけど、この作品の影響があったかもしれない。
私は、多くの読書家の方々とは比較にならないほど読書体験が少ないと思うのだけれど、自分にとって本当に必要なものには導かれ、ちゃんと出会っているという確信めいたものを感じている。これは本に限らず何にでも言えることだと思う。
自分自身が青写真として描いてきたことだとすれば、人生のあるポイントで出会うように仕組まれていても当然だから。

 

過去に記した夢日記をかなりの時を経て読み返すと、新鮮でとても面白い。インスピレーションの源泉に直接手を突っ込んでいるようで、『夢十夜』から感じたのと同質の、独特の浮遊感のようなものや無秩序の豊かさを堪能できる。どこか懐かしいようなひずんだ香りがする。

夢日記をつけると悪夢が忘れられなくなり怖い、というような声もあるけれど、文章に起こす際に完全に客観化されるので、むしろ生々しい感情とは切り離される。

夢を覚えておこうとすることで感覚が鋭敏になるというのはメリットとしてあると思う。色や匂いや五感が研ぎ澄まされるような感覚かもしれない。現代人の生活は頭脳偏重で味気のないものになりやすいから、現実の日常生活を刺激してくれる、自分の中から出てくる無料のアート作品だと思って接すると楽しめる。

 

一番のメリットは、自分の抑圧した感情やそれに関連する記憶を再体験することで、はっきりとそれが自分の中にあったと意識することができること。自己を内省してすみずみまでサーチライトで照らすように、放っておけば埋もれてしまう感情を取りこぼさず光を当てることができる。無意識下に溢れていくと、自分では手の届かないところに落ちてしまい、その闇に振り回されることになってしまう。

デメリットは特に感じないけれど、あるといえばあるか。文章が下手だととても読めたものではなく、鑑賞に値しないものになってしまう!これは危険!自戒を込めて。文章の練習としても、自分自身の娯楽としても、飽きるまでは続ける。