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水路を流れる魂とマシンとの類似性

家の近くに水路のようなものがあった。背の高い草が生い茂る中をかき分けるように、さらさらと流れている。
そこへ、一本ずつ、刈られた草が流れてくる。青々としたものから、藁のように茶色くなったものまで、一本ずつ、ゆっくりと流れてくる。それらには、数分前に起こった震災で亡くなった人の魂が宿っていることを、私は知っていた。
時折いくつかの草が絡み合って、流れを堰き止めてしまうこともあった。しかし必ず、草は意外なほどけ方でほどけ、また静かに流れていくのだった。私は飽きもせずにその光景を見つめていた。


震災はどこで起き、どんな状況になっているのだろう、私は家へ戻ってニュースを見ようと思った。歩を進める途中、二軒隣のお宅から、テレビの音が漏れ聞こえていた。ニュースをやっていないかと聞き耳を立ててみたが、違うようだ。車の走るような音がした。通り過ぎる時、ガラス窓の中にテレビ画面がちらっと見えた。F1グランプリが放映されているようた。斉藤という日本人選手が、初のポールポジションを取り、いまのところ首位を走っているそう。早口の実況中継の声が聞き取れた。


次の瞬間、私はサーキットに居た。運河が張り巡らされた街のなかにそのサーキットはあった。私は水際に立っていて、目の前はガードレール一枚を隔ててすぐ、爆音のF1マシンが走るコースだった。まるで、マラソンを沿道で応援しているような距離感。
運河をまたぐ高架から一気に下り、最高速度のまま緩く長いカーブへと突き進んでいく、難所中の難所だった。絶好のポイントだと思われたが、そこに観客は少なく、私を含め十人くらい。あとはオフィシャルのカメラマン達だった。カメラマンは、マシンが通り過ぎると一斉にカメラを構えたまま首を振り、猫じゃらしに反応する子猫の大群のようで、面白かった。
マシンが一台、また一台と、私の目の前を通り過ぎる。どこかで見た光景に似ている。ああ、あの水路だ。草が一本ずつ流れていくのに似ている。そんなことを思った。


ついに斉藤選手のマシンが坂を下ってきた。後続に3台を従えている。後ろの2台は周回遅れだというのがすぐにわかった。1位と2位とのデッドヒートだ。斉藤選手とライバルの2台が、流星のように長いカーブへと吸い込まれていった。他のマシンとは見るからにスピードが違っていた。
この光景はどこかで見たことがある。昔見た、モナコGP。アイルトン・セナとナイジェル・マンセルとの終盤のデッドヒート。隙きあらばインを突こうとするマンセルを、神がかった手腕でセナが抑えきったのだった。
その記憶がまざまざと蘇るのと同時に、今目の前で繰り広げられている光景は途端に色を失い、索漠としたものに思えてきた。
キラキラと煌く過去と、色褪せた現在と、私は今どこに所属しているのかがわからなくなった。過去から未来へと続く直線的な時間軸は、完全に崩壊した。