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最後のごはん

犬派か、猫派か? と聞かれれば、たぶん私は猫派。
犬のようにご主人様の言うことを素直に聞くのは嫌だし、愛情表現も犬のようにストレートでなく、かなりひねくれている。嬉しいときに喜びを全開になど出来ない。
猫みたいに狭くて暗いところが好きだし、落ち着けるところでまったりするのが好きだし、環境の変化にうまく適応できなくて不安定になったりする。群れでいるよりひとりのほうがくつろげる。柱の陰から顔を半分出して、じっと見つめていたりする。笑


そんな私のところに来た犬だからか、彼女はどうも猫っぽかった。
ネルちゃんはポメラニアンの女の子で、かなり気が強く、自己主張がはっきりしていた。私はこうしたい!といったらブレることなく、成し遂げるまで絶対諦めない。飼い主の顔色など見ないし、我が道を行くスタイル。ちゃんと犬らしくお手やお座りは出来たけれど、性格はどことなく猫っぽいのだった。


弟分の、猫のシルくんがいたので、彼のやり方を見て学んだのか、猫がやるのと同じように顔を前足でこする、顔を洗う動作をするようになった。
当然シルくんは猫なので流れるような動作で顔を洗うのだけれど、ネルちゃんは見よう見まね、ぎこちなく、カクカクとした動作で顔を洗った。シルくんは前足を舐めて濡らしておいて、その足で顔を洗ったけれど、ネルちゃんは時々、舐めた足と反対の足で顔を洗っていた。その様子にはいつも笑ってしまった。


気が強いくせに雷が大嫌いで、ゴロゴロと鳴り始めると誰か人間の座っている椅子の真下に入り込んだ。これなら雷が落ちてもまず人間に落ちるからか? と言って私たちは笑っていた。
真夜中に鳴り出したときには、ひとりでは階段を降りられないネルちゃんが、決死の覚悟で私たちの寝ている二階まで上ってきてしまったこともあった。階段の下の廊下は、彼女の足から出た汗でびしょびしょだった。どれほど怖くて、どれほどそこでためらっていたかがよく判った。


飼い主に似て野菜が大好き。台所で野菜を切りはじめると飛んできて、太ももを引っ掻いて要求した。いつも同じところを引っ掻かれるのでルームウェアの同じ場所に穴があいた。にんじんを一本、うっかり落としたらまるごとくわえて行って、死んでも離さない!と頑張っていた。あの根性は本当に見上げたものだった。ほうれん草を一束持っていかれたこともあった。
ピーナツは薄皮がついたまま食べてしまうと、後で皮をちゃんと吐き出していた。あれはとても渋いらしい。
一番好きなのはさつまいもだった。ふかして匂いが漂い始めると、狂喜乱舞。さつまいもは皮であろうと何であろうと狂ったようにむさぼって食べたものだった。


ネルちゃんは16歳で亡くなったけれど、亡くなる3日くらい前まで本当に元気だった。ある朝、突然元気がなくなり、何も口にしなくなった。
私はさつまいもなら食べるだろうと、ふかして細かく切ったさつまいもを手のひらに乗せ、食べさせようとした。ネルちゃんは、ほんの一口だけ、それをくわえて、ゆっくりと飲み込んだ。それが最後の食事となった。


命日に、そのことを母と話していた。私が食べさせようとしたさつまいもを、どんな気持ちで口にしたのだろうかと。
もう何も食べたくないけれど、マミーが用意してくれたから一口だけ我慢して食べてあげるよ。そう思ったのではないかと私は言った。
母は、それは違うと言った。ネルちゃんは、もっとたくさん食べたいけれど、これしか食べられなくてマミーごめんね、と言っていたんだよと。


母の言葉を聞いて、涙が滲んできた。
ネルちゃんはもう歩くことも難しくなっても、いつもの水飲み場までふらふらしながら歩いていって、水を飲もうとした。前足で踏ん張ることが出来なくて、屈もうとするとそのまま前へ突っ伏してしまった。水の入った容器に顔を突っ込む形で。それでももう一度必死に足掻いて起き上がり、なんとしても水を飲もうとした。
トイレも、いつもの位置にまでちゃんと歩いていこうとして、方向がわからなくなって途中で粗相してしまったりした。彼女は、諦めてしまうということを知らなかった。
昏睡状態になっても、一日半、身体から離れようとせずに頑張った。


こうと決めたら、死んでもそうするのが彼女のスタイルだった。
生きるということに、いかなるときも懸命だった。それを身をもって私に示してくれたのだ。


母の言ったことが正しいのだろうと思う。ネルちゃんは最期まで、もっとたくさんさつまいもを食べたかったはず。これしか食べられなくてごめんね、と思っていてくれたはずだ。