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持てる者のヘゲモニーが僕らを苦しめる

韓国ドラマ『バリでの出来事』 視聴終了。 
貧しい男女と裕福な男女、四人が織りなす愛と嫉妬の複雑に絡み合う人間ドラマ。愛憎劇の傑作との呼び声が高い作品。十五年近く前にも一度見ていて、今回は二度目。


裕福な者が貧しい者を虐げる、格差社会の構造を描き出す内容は数限りなくあるけれど、その格差を内面化してしまって、骨の髄まで侵され、思考や選択に自ずと表れてしまう、そんな自分自身に対する苛立ちや苦しみまで丁寧に描き出した作品はあまりないと思う。
焦点は、格差そのものでなく、それに苦しめられる庶民…というような表面に見えやすい単純な部分ではなく、もっと深く内側に巣食った社会のもたらす幻影と、まっさらな心とのせめぎ合いにピンポイントで当てられている気がした。
二時間程度の映画ではできない、連続ドラマだからできる内容。細かなエピソードを時間をかけて積み上げて、四人の人間の内面のゆらぎを繊細に表現していて、素晴らしいなと思った。


以前見たときには、ほぼ完全に持たざる側に感情移入して、貧しい二人が結ばれて幸せになれればいいのに、なぜ? という気持ちが強かった記憶がある。
今回も勿論それはあったけれど、裕福な側の苦しみもより深く見えてきた気がした。時が経つとともに、私自身の見方も多少変化していて、ずっと足踏みしているようでも、ただ留まっていただけではなかったのかな、と感じることが出来た。


「持てる者のヘゲモニーが僕らを苦しめる。そのイデオロギーの中で生きたいのなら仕方ないが……」
うろ覚えだけど、そんなような台詞があった。インテリだが貧しい男性が、金持ちの男を落として人生を一発逆転させる夢を捨てきれない貧しい女性に対して言う台詞。
ヘゲモニーって何だっけ? と思って調べてみると、
【支配者・優位者が被支配者・劣位者に対し、政治的な合意や文化的同調の調達、利益供与などにより、指導性を確立し安定した支配を維持すること。】-コトバンクより-


格差意識が前面で騒ぎ立てるために、雑音が多すぎて、微かな心の囁きが聞き取れない。
持てる側は、自分の愛を表現するすべを知らず、ただ金品を投げつけるように与えることしかできない。どんな理不尽も周囲が受け入れてくれるのが当然だったために、相手に受け入れられないという現実に困惑する。
持たざる側は、どんな好意も同情されているのだと思い込み、素直に受け取ることができない。可哀想という言葉に過剰に反応し、プライドを捨てているようでいながらそれに強くこだわってもいる。
単純になれれば、こんな複雑に入り組んだ状況にならなかったかもしれないのに。それを “ヘゲモニー” の構造が許さない。


でも、正直に言って、ラストシーンはどうしても共感ができなかった。彼女の揺れた心が最後に傾いたのが、そこだったことに。そして彼のとった極端な行動に。悲しさとともに、どこかもやもやした気持ちが今回も残った。
共感できなかった理由を、自分のなかにもう少し感じてみようかと思った。