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闇に沈みゆく岩

歯科医に行く時間が迫っていた。3時20分の予約で、もう間に合いそうもない。鉛のような脚と心を奮い立たせて、私はようやく歯科医院まで辿り着いた。
いつものように受付を済ませ、いつものように待たされる。一秒一秒が身体に食い込むように通過していく。なんでもないはずのそんな時間を、判決を待つ被告人のように味わい尽くす。


ようやく呼ばれて、診察台の上でまた待つ。歯の治療が怖いわけではない。それは恐怖とは違う、嫌悪感とも違う、あえて言うなら「違和感」を百万倍くらいに拡大させた感情。外の世界と接するときに必ず去来するそれは、私の生命力を最も浪費させるものだった。
歯科医がやってきて、簡単に口の中をチェックする。数十秒の沈黙の後、治療は次回からしますので予約をとってください。ほんの五分ほどで待合室に返された。
苦しみ抜いてようやくやってきて、耐えに耐えていたのに、また次回同じことを繰り返せと言われ、私は怒りを感じることも出来ず、湖に沈んでいく岩のように無力だった。


次の瞬間、私は古びた映画の撮影場のような場所に居た。木造の建物の中は柱や梁などがむき出しになっていて、何とも殺風景だった。撮影に使われるような衣装が雑然と並び、小道具類が床の上に散らかっていた。窓がなく、内部はとても暗く、私はその中を手探りで進んでいた。何人かのスタッフの顔が、ぶら下がった小さなライトに照らされていた。けれど誰も私のことを知らなかったし、私も彼らを知らなかった。
突然恐ろしくなって、自分の呼吸音だけが聞こえる闇の中を、必死に出口へと向かった。


なんとか外に出ると、既に真夜中だった。建物の中と何ら変わらない黒い闇のなかを、家へと歩いた。太い道路を渡ろうとするけれど、車がひっきりなしにやって来る。銀色のヘッドライトが冷たい秩序を保って流れていく。この暗さでは歩行者は目に映らないに違いない。私は諦めて迂回をすることにした。


空に月もなく、星もない。夜が呼吸をするたびにひとつひとつ吸い込んでいったかのように。
人けの全くない住宅街を一人歩く。家々は眠りについた獣のように静かだった。世界中に人間は私一人だけのような気がする。家へ帰っても、どこへ行っても、この無謬の闇のなかに閉じ込められたまま。窒息しそうに息苦しく、喉元に手をやった。