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猫の恩返し

もう二十年以上前のこと、家の庭によく来てくれた猫がいた。どこのお宅の猫か分からなかったけれど、飼われていた猫だったと思う。茶色っぽい縞のある毛色で、当時「焼津のマグロ」とかいう猫缶のCMに出ていた猫に似ていたので、うちではその子を「焼津」と呼んでいた。


焼津はとても人懐こい猫で、すっかり私に懐いてしまって、毎日のように家にやってきた。焼津と遊ぶのが、密かな私の楽しみとなった。
夕暮れに、後ろ髪を引かれながらも、今日はもう帰りな!と言ってガラス戸を閉めてしまうと、庭をいつまでも徘徊し、私を待っているのが見えた。ガラス越しに目が合うと、焼津はガラス戸に前足をついて伸び上がり、まん丸な目をさらに丸くして、ニャー!と大きな口を開けて訴えた。


時には、子分の黒猫を従えて来た。
黒猫の方が体は大きいのに、焼津の言いなりで、2匹におやつをひと口ずつあげると、焼津が威嚇して黒猫は逃げてしまい、悠々と2匹分を平らげるのだった。(今思うと外猫に勝手に食べ物をあげるのはよくないことだろうけれど、当時は私も意識が低かった)
逃げた黒猫は、焼津の目を盗んでまたそろりそろりと近づいてくる。だるまさんがころんだをしているみたいに、ふと見るたびに黒猫は少しずつ近づいている。焼津が振り返り、ギロッと睨みつけると黒猫はまた固まってしまう。甘えた声で鳴いているときとは別の猫のように勇ましい焼津は、またしゃーっと威嚇して、黒猫は一目散に逃げ出す。焼津は得意げな顔をして、尻尾で私の脚に触れながら歩き回った。


猫が可愛くて仕方なくなってしまって、絶対うちでも猫を飼いたい!と思い、それがきっかけで猫を飼い始めることとなった。シルくんと巡り会ったのも、それを思うと、焼津のおかげとも言える。
うちで猫を飼い始めると、焼津は遠慮したのか、次第に足が遠のいて、来ることはなくなっていった。


それから十年ほど経って記憶も薄れた頃、ある日突然、どこかで見たことのあるような猫が、家にやってきたのだ。
よぼよぼと、歩くのもやっとといった感じの老猫になっていたけれど、確かに焼津だとすぐに思った。もう歯もなくなっていて、身体もやせ細って、見るからにかなりの年齢のようだった。


十年も経っているのに私を覚えていてくれたらしく、私のそばにはためらいなく寄ってきた。
なんとなく懐かしいお客さんにお茶を出すような気分で、柄杓に水を汲んであげた。焼津は覚束ない足取りで近づき、一度は水を飲もうとしたように見えたがやめてしまい、ほとんど口をつけなかった。その様子から、もう水を飲む体力も残っていないかのように思われた。
しばらく一緒にいてやったあと、私が家に入ろうとすると、一緒に入りたがって仕方ない。うちには室内に猫も犬もいるから、残念ながら上げるわけにはいかないよ、と言って扉を閉ざした。焼津は悲しそうな顔をして、何かを諦めつつあるように、じっと私を見上げているような気がした。焼津がどう思ったのか実際のところはわからないが、私がそう感じたのは確かだった。
十年前、ガラス戸を締めてしまった後に見せた焼津の甘えた顔が、そこに重なって見えた。


二三日、焼津はうちの玄関のまわりをウロウロし続け、その後はぴたりと来なくなった。
それっきり、焼津を目にすることはなかった。


最後に、お別れを言いに来てくれたのだという気がして、思い出すと胸が熱くなる。
猫もちゃんと触れ合った人を憶えていて、注いだ以上の愛を返してくれるということを、焼津は教えてくれた。


確かなご縁を感じた、焼津。またいつか、どこかで会おうね。