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花を飾るということ

季節が来たら自然に枯れていく花を、盛のときに切り取って愛でるということが、理解できないわけではないけれど……。
切り花を飾るということがどうしても苦手。なにかが違う花の香り。どこかが違う緑の吐息。そこに感じるものをうまく言葉にできない。


花を切り取って、大地と切り離された瞬間、花はあるがままに朽ちることを許されない。生活ゴミとなって捨てられる運命にすり替わってしまう。徐々に遅くなり、やがてゼロに限りなく近づいていく鼓動。じわじわと腐りゆく姿を眺めているということに、慣れることができない。
切り取られることを目的に薬品漬けにされて栽培され、流通する切り花はなお一層。それは、あらかじめ失われた命の残り火をさらに搾取するということ。なぜだろう、そんな思いを抱かずにいられない。


花は全体の意識の中で、切り取られたことを恨んだり悲しんだりしているわけではないだろう。
切られたことが可哀想だからというのではなく、植物の生命のサイクルの、完全無欠の結晶のような美しい調和から切り離され、人間の生活から排出される汚物のなかに絡め取られてしまうことが、可哀想に思えるのかもしれない。
そんなことを花に強いている自分が、ひどく傲慢な存在に感じることが、嫌なのかもしれない。