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隕石の堆積場

前世への旅

初めて訪れた場所なのに、ずっと前からそこを知っていたような気がする。鮮やかな既視感。
生まれ育った国よりも奇妙なほど親近感を覚え、どこの路地を曲がってみても、懐かしいような気持ちが湧き上がるのを抑えられない。パリのセーヌ右岸、モンマルトルのあたりで、こんな感覚に襲われたのをよく憶えている。モンマルトルは下町だから、古くからの風情がそのままで、かつて(前世で)私はこのあたりに住んでいたことがある、という変な確信を持った。


友人と一緒の旅行だったけれど、パリではしばらく別行動をして、一人で歩きまわった。言葉もわからない外国で一人ぼっち、それなのに不思議なほどリラックスしていて、東京にいるときよりもむしろ疎外感を感じなかった。落ち着いていて、自分がここにいても良いのだという感覚。フランス語も、なぜか聞き慣れた言葉のようで、細胞レベルでその響きを知っているかに感じられ、意味がわからないことのほうが不自然に思えるくらいだった。


ルーブル美術館で、『モナリザ』の前は黒山の人だかりで、なかなか絵の近くへ行くことができなかった。あちこちに模写をする画学生がいて、床に直接座り込んでキャンバスと格闘していた。
有名なのかもしれないけれど、私はそこで見るまで全く知らなかった、一枚の絵に強く心惹かれた。
女性の遺体を愛おしげに抱きしめる男性の絵。その悲しみが辺り一帯に香り出していた。何故自分がその絵に惹きつけられるのか自分でも全くわからないままに、目も眩むほどたくさんの絵を見終わった後で、ポストカードを買おうと売店ではじめに手にとったのは、その絵だった。


その十数年も後に、まるで前世の記憶が再生されたような夢を見た。
以前にも夢日記に書いたことがあるけれど、裏切って苦しめてしまった女性が亡くなって、悲しみと後悔に暮れる男性が自分だった。『アタラの埋葬』で遺体を抱く男性が、その夢の中の自分にそっくりだったのに、目覚めてしばらく経ってから気づいた。線と線がつながったような、閃きにも似た感覚が走った。


前世リーディングというものをしてもらったことがある。前世を知ったところで、今の人生の課題は変わるわけではなく、過去に逃げても問題は解決しない。けれど何らかのヒントが得られ、糸口のようなものが発見できれば幸いと思った。大抵の人は数え切れないほどの転生を繰り返しているけれど、リーディングで見えるのは、現世のテーマに一番関係の深い前世らしい。


リーディングで指摘された二つ目の人生は、やはりパリでの人生だった。フランス革命時のパリで貴族の娘だったが、革命の後に地方へと追われ、そこで元の身分からは考えられない野良仕事などもして、なんとか家族を支えていった。そこで平民の男性と出会い、恋に落ちるけれど、パリを追われた貴族であるという身分を知られると、男性はそれを理由に去っていった。その痛みが癒えぬうちに、若くして病死した。そんな人生だったということだった。
身分の逆差別。子供の頃から目立つことを恐れ、大衆的なものへ埋もれようとすることで安心したのは、こんな前世の影響なのかもしれない、というようなことを考えた。パリで感じた不思議なほどのホームグラウンド感は、やはりそこで生きていたことがあるからなのかな、と思った。何不自由なく幸せだった、貴族の娘として暮らした場所だから、無条件に良い印象があるのだろうか。


今生に閉ざされた知性のなかで、こんなふうに掘り起こすべきものではないのかもしれない。夢の中のイメージなんて、全部想像しただけのファンタジーなのかもしれない。そうだとしても、それでもいい。地下水脈を振り子で探すように、知覚を超えた何かを頼り、探り当てたいという心の疼きを消すことができない。帰りたい場所へ、導いてくれる何かがきっとそこにあると、あらかじめ知っているような気がする。

 

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