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空飛ぶ自転車

私たちは、大きく弧を描く形に整列した。その三日月型のパズルが揃うための最後のピースとなったのは私で、そのために教師に目をつけられたのか、いちばんはじめに指名された。
北海道のような寒冷地で、イヤホンは機能を失うのかどうかと尋ねられた。私は答えた。自分のイヤホンではないけれど、友人のイヤホンが、実際に北海道のスキー場で凍りついて駄目になってしまったのを見たことがあります。一度凍ったものはもう使えないと思います。私のイヤホンは、黒いコードの部分が傷んで、中の銅線が見えてしまっている箇所があるのですが、ちゃんと音は聞こえるし、まだまだ使えそうです。


友人のイヤホンのくだりは真っ赤な嘘で、親しい友人は一人もいなかった。ただ優等生然とした受け答えを演じただけ。教師は期待した通りの返答に納得したような顔をして、ゆっくり頷いた。隣に立っていた男子学生たちが興味津々に話しかけてきた。雪山でも駄目にならなかったイヤホンって、どこの? 目を輝かせて彼らは訊く。ソニーの、と私は答える。やっぱりソニーはすげえな。ソニーのなんてやつ?〇〇? 私の知らない商品名を挙げて彼は訊いたけれど、私は小さく、知らない、とだけ言った。


私たちは雪山から都会へと帰る。自転車を漕いで、一定速度まで加速すると、自転車は離陸する。次々に空中へと飛び立つ自転車たち。空の上でペダルを漕ぐのはとても気持ちが良かった。鳥になって見下ろす世界は、ごみごみとして人間の生活臭があふれるものであったり、そのすぐとなりで神秘的なほどの自然の美が息づいていたり、全く秩序というものが感じられない。人間社会そのもののカオスが、溶岩のようにどろどろと対流しているようにも見えた。


Y市からC市の上空に入るとき、あちこちに「ここからC市」という看板が設置されているのに気づいた。幹線道路ではよくあるけれど、空飛ぶ自転車のために、空からよく見える位置にそんな案内が設置されているとは知らなかった。市の境界線は複雑な形状をしていたので、看板はいくつもの丘の上や林の木々の上に複雑に分布していて、目前に現れては消えていった。
周囲を見回すと、仲間たちが同じように空中を漕いでいる。三輪車のように小さいもの、セグウェイのようなもの、いろいろな乗り物が空を飛んでいた。やはり小さいものは漕ぎにくそうだった。私は自分に与えられた、鮮やかなスカイブルーの26インチくらいのごく普通の自転車に、とても満足していた。


私の青い自転車は空の青と同化し、空の一部に溶けてしまっても誰も気づかないような気がした。そうだったら良いのに。このままずっと空を飛んでいたかったけれど、もう私たちの校舎が見えてきた。砂埃が舞い、自転車が着陸する。その瞬間の衝撃は、この世にある典型的な苦しみを少しずつ掻き集めたビュッフェのような苦痛だということが、私にはわかっていた。痛みの瞬間に身構え、それがやってくる前から、舐めるように味わい尽くす。身体は硬く、心はもっと硬く。地面が近づいてくる。予測のとおりであり、予測を超えてもいる、その苦痛が体を貫いた。