『風立ちぬ』 堀辰雄 読了した。
遠い昔に読んだような読まなかったような。殆ど覚えていないので初読と言ってよかった。
この作品は、生と死の意味を問う作品とされているようだけれど、それ以上に、私にはこれは恋愛の小説、しかもある意味で一方通行の愛を描いているように思えてならなかった。
透明感のある美しい、風景と心理の描写。風の色が変わり、世界の表情が移りゆくさまを、ナイーブで繊細な筆致で描くのと同じように、自身の内面の微細なうつろいを細やかに観察し、描写する。あまりに完璧すぎて、自己完結しているように思える。彼女の「存在」が描写されているように思えない。自身の瞳に映った彼女の「映像」だけがそこに描写されているような。
死にゆくものの目を通して世界を見たから、そこに通常なら発見できない美を見た。それは、死というものに接近したときの風景を疑似体験したということより、愛する女性の眼差しで世界を見た、という点でより意味があると思えた。彼は、彼女の魂を通して世界を感じ取り、その瞬間を溶け合って生きていたということを知る。それなのに、彼女はその美のなかに命の終わりを感じ、彼はそこにふたりの幸福を感じたことに気づき、悔やむ。
彼女とふたりでひとつの生を生きるということ、ひとつの心で同じものを見、同じく感じるという奇跡が、彼にとっての「恋」なのだと感じられた。彼女の方も、自分と全く同じように「恋」していることを、彼は疑わない。不思議なほどに、濁った疑念とは無縁の透明な心に閉じ籠もる。
病に伏した彼女のほうが、むしろ主人公を気遣い、配慮している。その配慮は、恋に基づくものなのか、自然な善意によるものなのか、私には読み解けなかった。死の足音が近づく中で、そばにいる彼よりも離れている父親を恋しがり、山襞に太陽が描き出す陰影に、父の顔を重ねて見るというエピソードが、とても悲しかった。その後で、父を恋しがったことを彼に対して謝る、というところが、なお悲しかった。
失われると予めわかっているから、悲しみはより純化され、幸福は痛みのように突き刺さる。
人生そのものが美しくなる。終わりを捉えさえすれば。
残酷なことに、彼女がこの世を去る事で、彼はさらに清らかな記憶のなかに閉じ籠もって、有機的な汚濁から守られた美しい追憶を愛し続けることが可能となった。彼女は彼のために病を得て早逝した、と言ったら、それは言い過ぎだろうけれども……。
彼女は、彼の観念が求めるものをひたすらに与えてあげることで、愛したのだろうか。それは、どうも「恋」とは言えないような気がして。どこか一方通行な感じを抱いた正体は、それなのかもしれない。
愛は、見返りを求めずに与えられるだけ与えること。
恋は、互いに、相手も自分も愛すること。その4つのベクトルが釣り合うという奇跡のこと。そんなことを思った。
なんだかんだ言って結局、愛する人に大切に看取ってもらえたであろう彼女を、羨ましいと思った。