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ケーブルカー乗り場

枯れた芝生のような、踏みしだかれた草に覆われた空き地が続いていた。片側は崖、片側は民家が並んでいて、その隙間に細く続く空き地は、K貝塚へと続く(実在しない)抜け道だった。私は母と一緒にその抜け道を歩く。母は、若々しいワインレッドのダウンジャケットを着ていて、思いのほか似合っていた。乾いた草を踏みしめる音がざくざくと響き、辺りの静けさが貪欲に音を飲み込んでいった。崖の下には灰色の家並みが、可愛らしいおもちゃのように並んでいるのが一望できた。私たちは歩きながら、とりとめのない昔話をいくらでも続けることが出来た。


やがて枯れ草の道は終わり、その先は突然開けていて、見慣れない建物が立っている。その前の広場には、数百人の子供たちが集っていた。彼らがここで何をしているのか見当もつかない。子供たちは行列を作っていて、その先頭は見慣れない建物に飲み込まれる形だった。子供に特有の、乳くさいような甘い匂いが充満している。凶暴なほどに湧き立つ生命の匂い。
私たちは人気の無い所を歩くつもりだったので、マスクもしておらず、この密集した状態は好ましくなかった。綿の白い手袋(水仕事のときゴム手袋の下につけているもの)がポケットにあるのを見つけ、それを口にあてがった。そういえば、子供たちは一人もマスクをつけていない。子供が大勢いるにもかかわらず、広場はしんと静まり返っていて、音声を消した映像を見ているよう。
この行列が何なのかが気になり、建物の裏手に回ってみた。崖の下に向けて、ケーブルカーが数十メートルほどの距離を下っていくのが見える。ここはケーブルカーの乗り場だったのだ。こんなものがいつできたのだろう。


気づくと、母がいない。私は慌てて辺りを探し回った。青ざめた顔をしていたに違いない。母はどこかで倒れているのではないか? 子供たちを掻き分けて、寝そべる子供たちを飛び越えたりしながら、母を探して走り回った。疲れ果てた頃、広場の端に歩いてくる母の姿が見えた。ほっとすると同時に激しい憤りが湧いてきた。私は母の腕を掴むと、すぐにうちに帰ろう、と冷えた声で言った。母はその言葉を待っていたように笑った。そう言うと思ったから、先に車を回しておいたよ。ガソリンが空だったから、満タンにしてきたところだよ。
母は先回りして、私のためにガソリンを入れに行っていたのだと知り、それでも一言告げてから行ってくれたら余計な心配などしなくて済んだのに、という思いが心の中に吹き溜まり、行き場をなくした。