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虚像

『ルウベンスの偽画』 堀辰雄
先日読んだ「風立ちぬ」が琴線に触れたので、こちらも読んでみた。

意中の人を本当に愛しているのか、自分の観念の理想像をそこへ投影しているだけなのか。その迷いは必ず恋というものに付随するのではないかと思う。
観念の中の心像が「戯画」なのか、現実に確固とした肉体を伴って存在する対象が「戯画」なのか。
もっと言っちゃったら、どっちも戯画なのか。
風立ちぬ」でも感じた、どこか一方通行な感じが、若さゆえにこちらでは爆裂。肥大化した観念の虚像と戯れる。現実に散りばめられる事象は、それを引き出す為のトリガーでしかない。観念に恋をしているし、それに気づいてもいる。自意識の内部でぐるぐる巡る。


この作品の時代には仕方ない。その周辺の迷いを詳らかに描き出すことに留まらず、真実の恋愛の結実のようなものを見出そうとするフェーズに、私たちは一段上がったのだと感じる。自分の中だけで完結しない、対流し続ける情熱を結実させる。
そのために、自意識と格闘し、破れ、疲れ果てることが必要なのかもしれない。極限まで荒れ果てた野にだけ、完全に新しい花が芽吹く。何もかもが新しい、ワンネスの体験としての恋愛。