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隕石の堆積場

一人になりたい

「一人にして欲しい」という人は本当に一人でいたいんじゃない。「死にたい」という人は本当に死にたいんじゃない。たまたま見ていたドラマでそんな台詞があって、少し心に引っかかった。
たしかに「死にたい」と誰かに言う人は、死にたいほど辛いのをわかってよ、と言っているのと同じで、言葉の通り死にたいわけじゃないんだろう。
でも「一人にして欲しい」というのは、心からそう思うことだってある気がする。

高校の修学旅行で京都に行ったとき、この台詞を本当に言ったことがある。通っていた進学校の雰囲気に、私は未だ慣れることができないでいた。数少ない友人はいたけれど、旅行中、それ以外の気心の知れない人たちと一日中一緒にいるのは、とても息が詰まって仕方なかった。
普段の生活では、一人になりたいと口にする前に、そんな状況になるのをあらかじめ避ける。でも旅行中は班ごとの行動で、固定のメンバーと朝から晩まで一緒にいるしかなかった。同じ班に、いちばん親しかった友達もいたけれど、クラスでいちばん苦手だと思っていた三人組もいた。

二日目の夕食後、二時間ほどの自由時間があり、好き勝手にどこへでも出かけていいということになっていた。気持ちが塞いで、私はどこかへ出かける気力も出ず、我慢することももう限界で、とうとうその言葉を口に出した。疲れちゃって、少し一人になりたいから、私は宿に残るね。
いちばん親しくしていた友達は、ある程度私のことをわかってくれていたのか、心の中でどう思ったかはわからないけれど、何も言わずそれを尊重してくれた。彼女は他の子たちと一緒に出かけ、私は望み通り、宿の部屋で一人になった。

何をするわけでもなく、ぼんやりと座ったまま、取り留めのない考えを巡らせた。そのような時間が持てないと、私は窒息してしまう。
一時間ほど経ったとき、まだ自由時間の終わりには早いのに、苦手に思っていた三人組が戻ってきた。なぜ早く戻ってきたのか、訝しく思ったけれど、何も訊かなかった。彼女たちもそれについて何も言わない。結局、部屋で私たちは一時間ほどお喋りをして過ごした。多分、三人組は私のことを心配して、せっかくの自由時間を切り上げて、途中で戻ってきてくれたのだ。

悪い気はしなかった。彼女たちの思いやりに、直接には言えなかったけれど、心の中で感謝の思いも抱いた。それでも、どこか判然としない感情が残った。彼女たちは親切だったし、私を心配してくれた。けれど、それは私の望みではなかった。
後々まで考えることになった。きっと彼女たちの、容赦のない夏の太陽のような善良さ、それこそが彼女たちを苦手に思った理由ではなかったかと。彼女たちは良いことをしたと信じて一ミリも疑わず、自分たちの行為を内心で自画自讃していたはず。その自讃のために利用されたような気分にさえなったのは、私の心が歪みすぎていたから?

わがままな心は、逆のことも想像した。誰一人として私を心配して戻ってきたりせず、自由時間の終了まで一人でいたとしたら、どこか放って置かれたような寂しさを感じなかっただろうか。親友は実際に、終了時間まで帰ってこなかった。どうせなら、あの三人組より親友に戻ってきてほしかったと、ちらっとでも心を過ぎらなかっただろうか。

帰りの新幹線で三人組は、並んで座れる席が見つからず、意地を張って別々に座ることを拒み、到着までずっと立ったままだった。ふくれっ面で不満げに立っていた三人の姿。
そんなことを、ふと思い出した。