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Dépôt de Météorites

すみっこ暮らし

野草を食することの素晴らしさを語っているテレビ番組を見て、試しに食べてみるかと思い立ち、庭に出た。家の庭は現実のものより広く、畑のようだったけれど、畑のような秩序がなく、あちこちに不規則に何かが植えられている。モグラ叩きの穴みたいだ。その穴にすっぽりと、得体の知れない植物が収まっているように見える。空を見上げると、雲が小さく見え、目に映る何もかもがいつもより遠くにあるような気がした。太陽も一回り小ぶりで、かんかん照りの割に不思議と肌寒い。

巨大な小松菜のような草があり、私はそれを引っこ抜いて、室内に抱えて持ち込んだ。両腕でようやく抱えあげられるほどの大きな株。部屋の隅、テレビの後ろにその草の指定席はあった。その草は自らそこを好み、そこに落ち着いたように思えた。

毎日少しずつ、葉を剥がして食べた。生で、炒めて、スープに入れて、様々なやり方で調理してみたけれど、その草はどうやっても美味しく食べられなかった。それでも私は変な責任感を覚えて、毎日その草を律儀に食べ続けた。巨大な株はなかなか減らない。部屋の隅に根を生やして、住み着いてしまったかのようだ。株を持ち上げてみて、根付いていないことを確認して安心する。でも、このままでは食べきれないうちに腐ってきてしまうな、どうしよう。

ある日、いつものように葉を剥がすと、株の中から数えきれない虫が湧いて出てきた。虫は大中小、いろいろな大きさのものがいて、白い壁に無数の虫が競って這い出すさまに鳥肌が立つ。草の霊が孵化し、無数に分岐して具現化した結末。
とうとうこの日が来た。こうなるだろうことはわかっていたのに、何も対処が出来なかったことを、どこか遠くで悔やんでいる。感情のすべてがぼんやりと遠くにある。
殺虫スプレーを持ってきて、虫に向けて噴射する。一秒ほど白い煙を吐いたあと、スプレー缶はすぐ空になった。