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チャネリング

人混みで気分が悪くなったり憂鬱になったりするのは、周囲の人の想念を「チャネリング」しているからだって、誰かが言っていた。
虫の知らせとか、なんとなくそう感じたら合っていたということが確かにあると思う。それもチャネリングと言っていいのだろうと思う。

何か表現したいのに正しい表現が思いつかず、立ち止まった時。
集中して意識を内側の宇宙に向けると、概念の塊のようなものが落ちてきて、それを言語に翻訳し、文章として書き付けることがある。
多分、誰かを目の前にして声として伝えるのでは上手く行かないだろうなと思う。喋ることより書くことの方が得意だから。

極度に集中して、概念を求めると、ふっと湧き出てくる瞬間があり、それを言葉に置き換える。また、それを表現するのに最もふさわしい言葉を求め、自分を明け渡す。すると、正しい表現が湧き出してくるように脳内に表出する。そのような体験を度々してきた。それこそが書くことの楽しさ、歓びだったという点も否めない。
それはまさに、「チャネリング」をしていたということなのかも。

昔書いたものは、今読み返しても、拙いけれど私自身のエッセンスの凝縮された結晶のような輝きを放ち、自ら愛おしく思えるもの。と同時に、どこか自分で書いたものではないような、何かのエネルギーが降りてきて書かされたような感覚も、一角で確かに感じていた。


迷いのあること、答えを知りたいことに関して、自分の中に問いかけることを繰り返しているうちに、なんとなく、ぼんやりと烟る状態ではあったけれど、私は答えを受け取れているのかもしれないということに、ある時気づいた。
それでも、その答えが高次から来たものか、長い間自信を持つことができなかった。思考が自作自演しているものかもしれないとの疑いが拭い切れない。

それこそチャネリングで問いかけてみればいい! そう思って、内側の宇宙に尋ねてみた。
私はきちんとチャネリングできているのでしょうか? それともこれは私の思考が妄想しているだけですか?

《私にはできない、と信じるなら、信じたとおりになるでしょう。あなたにはそのパワーがあるから。》

受け取ったのはシンプルな一言。
できないと「信じる」からできないのだ、一気に全てが腑に落ちた。
信じることには究極のパワーがある。それは何度も見聞きしてきた言葉だけれど、どこか絵空事のままで、自分の中に落とし込めていなかった。
そのパワーを否定的に使うか、迷うために使うか、全ては自分の選択だった——それだけのことを受け入れ、納得して、素直になるのにも、ずいぶんと長い時間をかけてしまった。