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隕石の堆積場

筆跡

筆跡というものに宿る肉体性に、目を見張ることがある。
精神性は文字の外観よりもその内容に宿るけれど、筆跡は殆どその人の体の延長に思える。筆跡には、精神性とは違う次元の、粗雑でありながら精密な肉体の豊かさが織り込まれている。
自分では知らない自分まで出てしまう。自分の大嫌いな自分も出てしまう。意識するものでなく、意図して作り上げたものでなく、本人のものでありながら、本人にはどうにも変えることができない。それを愛するなら宝のようなものであり、それを嫌うなら呪いのようなものになる。

私にとっても、それは呪いであり宝でもある。その間を揺れつづける。
大嫌いだけれど、大好きでもある。それでいいんだ。無理に好きだけにしようとしなくても、嫌いを消そうとしなくても。

自分の書く文字は明朝体っぽいので、ブログの文字も明朝体にしている。(環境によって異なります) そのほうが良くも悪くも自分の味が出ると思うから。フォントが変わるとガラリと雰囲気が変わるので、字体の持つ力は侮れない。

手書きの文字の持つ味わいに魅了されて、万年筆にはまったりしたことも。
万年筆は、漢字を書くためにはやはり日本製に限ると思う。舶来物は、基本アルファベットを書くことしか想定されていない。細かい漢字を書くには細さが必要だし、どこがどうと言えないのだけれど、とにかく書き心地が違う。書かれた文字の味わいも違う。といっても、母の持っていた云十年前のモンブランしか洋物は知らないので、それだけで言い切ることはできないかもしれないけど。

メーカー毎の個性もあり、パイロットはインクフローが良すぎて字が眠くなるとよく言われる。眠くなるというのはぼんやりとした印象になるということで、私はこれが好きじゃない。プラチナ製のシャープな筆跡が好き。ぬらぬらと書けるのでパイロットが好き、プラチナはカリカリして嫌いという人も多いので、好みというのは本当に多様。

ボールペンもあれこれ書き心地を比較して、今の所ゲルインクのエナージェルかシグノの二択となっている。ペンなんて書ければいいのだけど。ほんとに馬鹿だなあと思いながらも変なこだわりを持ってしまう。ペンを走らせるときの感覚が違う。書き心地が気に入ると、なんとも言えない快感がある。その気に入るポイントを探し当てるのがなんとなく楽しい。

万年筆は高いのでおいそれと買いに走るわけに行かないけれど、安いボールペンはついつい集めてしまう。無駄に物を増やさないポリシーに反しているのだけれど。矛盾だらけ。

矛盾だらけでも、それを矯正しようとしないほうがいい。豊かさにはいつも矛盾が宿っている。そのことをようやく体得できてきた。

 

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