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欲望と犠牲

韓国歴史ドラマ『六龍が飛ぶ』 終了。
欲望に忠実な人って魅力的。自らの欲望を、自らの意志で肯定できる人っていうのかな。
持て余すほどの才覚と胆力があって、それを埋もれさせて生きることは、何より耐えられない。一人の生身の人間としての、恋慕も友情も尊敬もあった上で、血も涙もない悪魔では決してなく、葛藤の先に自ら選び取った道だから。残忍であっても非道であっても、輝かしい。欲望が叶い行くのと引き換えに、周りの人々が一人ずつ背を向けて行ったとしても。そのひとつひとつの選択を、心の揺らぎを、共に見届けてきたから。

歴史の中でどんな役割だったかが重要なのではなく、個人の内面を克明に描き出すことに重きを置いている。実在した李氏朝鮮王朝第3代王がどんな人だったかを、直接知る人はいないのだし、史実として残されている人物像と全然違っていたって構わない。
これだけ魅力的な人物造形をされたら、ご本人だって許してくれるでしょう。

政治という権力争いの中で、どんなに高邁で美しい理想を抱いていても、謀略に手を汚さずには進めないという悲しさ。理想の形がほんの少し異なるだけで、その相違が絶対に許せない一点であればこそ、血で血を洗う道しか残されていない。一時は共に手を携え、同じ夢を見た仲間が、政敵となって潰し合うしかない。対立に次ぐ対立は、宿命的に繰り返されるリフレイン。同じ主題を奏でるしかない。
そこで必ず犠牲になるのは、敵でも味方でもなく、人と人の間に流れる、温かな情なんだ。柔らかな肉体が剣の前で無力なように。

一人の人の人生を時系列に沿って並べただけ、歴史の真実にひとつでも背いてはいけないという足枷をつけられた時代劇は、綺麗事ばかりで全く面白くない。
どんな偉人の人生だって、人生をそのまま縮尺したようなものではストーリーとして成立しないし、退屈なものにしかならない。ドラマは構造、骨格が命。それがしっかりして初めて人物の内面を掘り下げて見せることができる。他者との対比によって、時間軸における対比によって、人物が配置され、出来事が配置されなくては。

だから、歴史そのままを描くべきという考え方には私は反対。むしろどんどん脚色して、物語としてよりエキサイティングに、より心震えるようなものに作り変える方が好き。
歴史なんて、後の権力者の側から見た視点で描かれたものだし、所詮、本物の真実は当事者しかわからないんだから。

登場人物が皆魅力的で、確かに血が通っていることが素晴らしいと感じた。「コスプレ」じゃない。同じようなステレオタイプな展開、カタルシスだけを求めるようなものとは大違い。
韓国の歴史をよく知らないからこそ、新鮮な目で見られて、純粋に楽しめる。知らなくても楽しめるのは、骨組みがしっかり組み立てられてある証でもある。
今の日本の時代劇を、日本の歴史を詳しく知らない外国の方が見て、感情移入して楽しめるかというのはちょっと疑問。歴史を知ってることを前提に作ってある気がするし。知識の後ろ盾がなければ、物語自体はふにゃふにゃなのが多いように思えてしまう。

歴史を見せるのじゃなく、歴史はただの舞台装置として、あくまで人間の本質を鋭く描き出して見せるのが、韓国の歴史ドラマの魅力。その上で、シンプルに誰もがエンターテイメントとして楽しめる作品となっている。

俳優陣も皆、はまっていた。主演ユ・アインの求心力ある演技がすごいのは知っていたけれど、高麗一の剣士役ピョン・ヨハンの繊細さと翳りに惚れた!