SITE MÉTÉORIQUE

Dépôt de Météorites

時を超えた郵便物

自宅の郵便受けを開けると、幾つかの郵便物と一緒に、何やら大きな包みが入っていた。
包装を解いてみると、数枚の皿が現れた。自宅で頻繁に使っている、桜の柄がワンポイントで入った平たい皿と全く同じデザインで、花の色が橙色で描かれた色違いの皿だった。よく使う皿と同じものなので、これは実用性があり、もらっても使わず仕舞い込むだけになってしまうことはないな、有り難い。頭を過ぎったのはまずそんなことだった。
差出人は誰かを見る。見覚えのない女性の名前。首を捻りながら、添えられていた手紙を開封する。

文学的で、やや冗長な文章。思い出語りが長く、回りくどい表現が続き、言わんとすることが見えてこない。数ページの後の一文で、ようやく真意が掴めた。弟は、平成23年◯月に他界しました。学生時代、同じ学年だった男子の姉からの手紙だった。
心臓を冷たい手で握り締められたような戦慄。その男子が亡くなったのを全く知らなかった。しかも平成23年とは、何年前のことだろう。今が何年だったか、いくら考えても思い出せない。

数年前、突然思い立って、古い友人に宛てた年賀状をたくさん書いたことがあった。その時、彼宛にも送ったのを思い出す。すでに亡くなった人に年賀状を送るなんて、非礼なことをしてしまった。しかし、それに対して感じたことの結果として、この贈り物と手紙が届いたのなら、姉は万感の思いで、数年遅れの年賀状を受け取ったということになるのだろう。弟をまだ忘れずにいてくれた人の存在が胸に沁みた、そういうことなのかもしれない。
数年かかってやり取りされた郵便物を前に、緩やかな眩暈とともに、時間の感覚が麻痺していく。平成が何年まであったか、西暦に対応させると何年になるのか、それらの概念がすっぽりと頭から抜け落ちている。

この友人には、卒業後に一方的に想いを寄せられ、当惑したことがあった。当時の私は冷淡すぎるほどに、無残に切り捨てるように、彼を拒絶した。理由はなく、なぜか彼に対して、違和感、嫌悪感に近いものを感じていた。それでも、あまりに冷酷な仕打ちだったような気がして、自分の対応を悔やみ、後々まで気に懸っていた。
姉からの手紙に、死因は書かれていない。自ら命を絶ったということなのか。その責任の一端が自分にもあるような気がして、胸苦しい。時の重みが、胸のなかの小さな一点に容赦なく伸し掛かるようで。