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隕石の堆積場

生命のスパーク

『タイタニック』 誰もが知る言わずもがなの超大作。地上波で放映していたので観た。たしか公開後しばらくした頃に一度観たきりで、細かいところは殆ど忘れていた。

彼は彼女に言う。君は何人も子供を生んだ後、この冷たい海ではなく、温かいベッドて最期を迎えるのだと。それを約束してくれと。彼女は息絶えた彼の手を離し、氷の海に沈みゆくのを見届け、救助の手を求める。二人分の生命力が宿ったかのような、噴火口からほとばしる光のスパークが、重く立ち籠める闇を切り裂く。

二十年も前に見たときには、彼女に漲るちからに素直な共感ができなかったのを思い出した。
生きるって素晴らしいね、という、いかにも安っぽい感動として消費されていくのがつまらないなと思ったのと、自分だったら彼女と同じ選択ができるほど強くはないだろうと感じたのと、そんな理由からかもしれない。
自分だったら、約束を破る事になっても、手を離すことは出来なかったんじゃないか。
そんな劣等感と、それを正当化するさまざまな言い訳と。

命の粗雑で荒々しいエネルギー、一見無秩序であるかのようで、実に巧妙に私たちをあるべき場所へと還流してしまう、どこか狡猾にさえ見えるあの熱いエネルギーが、とても嫌いだった。

彼女は、自分に新しい人生をくれた彼との約束を破ることが出来なかった。自分で選択し掴み取ることのできるものであり、どんな理由があれ囚われているのはただ自分自身だけだということ。与えてくれたその宝物をむざむざと捨てることは、彼の愛を裏切ることだったから。それを以前よりは「体感」できるようになったと感じた。

私は長い年月を経て、少しは「いのち」と仲良くなれてきたのだろうか?
自分のいのちを愛することができるようになってきたのだろうか? ……等と考えたりした。

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