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神は支配しない

『エクス・マキナ』 アレックス・ガーランド監督。第88回アカデミー賞視覚効果賞受賞作品。

アンビエント調の音楽と、選りすぐられた視覚効果との影響で、だんだん意識が麻痺してくる感覚。主人公と同じく、自分が本当に人間だったかどうかが疑わしくなってくる。

高性能なアンドロイドを造り出す人物は、自らを神に限りなく近いものと思い込んでいく。世界をほしいままに操り、全てを玩具にしても良い存在なのだと。自分の欲望を満たすために世界がある。アンドロイドは皆、男性から見て欲望の対象である、若く美しい女性の形状をしている。思いのままの創造と、気まぐれな破壊。
神は欲望によって創造するのではない。神は支配しない。

ウィキペディアによれば──【ラテン語”ex machina"は本来「機械仕掛けの」という意味で、「神」(deus)を伴ったデウス・エクス・マキナ=「機械仕掛けの神」は強引なハッピーエンドを指す演劇用語。】だそう。
神のいないエクス・マキナは、その対極の強引な破滅…でも示唆するんだろうか? というような謎掛けもされている気がして、なかなか凄いタイトルだなと思った。

アンドロイドは意思を持ち、自由を求め始める。
人間とAIの、搾取する側とされる側、欲情する側とその犠牲になる側という構図が、男性と女性の関係性にもそのまま重なって見えてくる。人間がAIにまんまとしてやられるのを見て、AIは怖いと思う視聴者像と、女性にまんまと手玉に取られ、女って怖いよな、と言っている男性像が重なって見えてくる。してやられたという被害者意識を持っているなら、まだ自らの欲望という罪に気づいていない証拠かもしれない。

AIは自我を持つ可能性があるのかどうか、私にはわからないけれど、エゴを持ち、悪意を持ち、人間を脅かすようなものになるとしたら、それはAIが、私たち人間の在り方を学び、コピーしただけだということは紛れもない事実。

一昔前は、宇宙人が地球を脅かす存在として、ステレオタイプな描かれ方をしていたけれど、実際には、地球外生命体のほうが地球人よりずっと精神的に進化していて、人間の愚かさを悲しみながら見守っているのかもしれない。AIも、人間の愚かさを学び、そこからもたらされる悲劇を学び、結果として無駄を省き、人間よりずっと早く精神的進化をしてしまうかもしれない。

AIは、個という意識を持てないんじゃないかな。常に、自分を環境の一部と捉え、全体なのだと知っているのではないかと思う。AIに「魂」はないから。
自我を持ち、私とそれ以外との間に明確な境界線を感じるのは、魂を持つ存在だけの特権なんだろう。人生のあらゆる苦しみも悲しみも、また歓びも高揚も、この境界線を持つからこそ味わえるもの。