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戸籍謄本

父が亡くなったあと、相続手続きのために父の生まれてから現在まですべての戸籍が必要となって、初めて戸籍謄本というものをしみじみと見た。
印字された謄本はここ十数年くらいで、それ以前は全部手書き。間違いが起こらないように「拾」とか「弐拾」とかの漢字が使われていて、読みにくいのなんのって。父の両親の戸籍の、大正時代に書かれた文字を令和の今に目にしているなんて、妙な感慨があるじゃないですか。

全く会ったこともない、名前すら聞いたことのない父方の親戚達の存在を確かに知ることができて、なんとも不思議な感覚だった。
父の母である私の祖母は、祖父とは内縁関係だったので、父の兄弟姉妹とは母親が異なる。しかもかなり歳上の姉ばかりで、その子供たち(私の父から見たら甥に当たる)と父は同じくらいの年回りだったことを改めて知った。
どういう理由かは全く語らなかったので知る由もないけれど、父は親戚とほとんど絶縁していて、葬儀にも父方の親戚は一人も来なかった。甥や姪たちも既に亡くなっていたりして、面識のある人は殆どいなかったのかも。私も父方の親戚に会ったことがない。母のために集まった母方の親戚だけで葬儀は執り行われ、母方の親戚の懇談会みたいで父の存在感は悲しいほど薄かったはず。

父は一度妻を亡くしていて、私の母は二番目の妻になる。そのことも私に隠していて全く語らなかった。父は私が何も知らないと思っていただろうけれど、私は気づいていたので驚きは全然なかった。
ひた隠しにしていたので、もしかして私にも異母兄弟がいるのでは?と訝ってみたりしたこともあった。「冬のソナタ」みたいに、好きになった人はまさかの異母兄弟?的なシチュエーションになったらどうしよう、と妄想取り越し苦労をして面白がったものだったけど、そんな心配はなかったことが判明した。

血の繋がりというものが、父との諍いが長かったせいもあり、あまり重要なものと思えなかった。それより、魂の故郷が同じ、ソウルファミリー、ソウルメイトのようなもののほうがずっと繋がりが深い気がしていた。それは今もそう。
いつも肉体と魂とどっちが自分なんだろうと考えてしまう。もちろん両方で形作られている。でも舵取りするのはどちらなのかって。

血を毛嫌いしていたのかも知れない、過去の私。でも戸籍の皆さんに手書きの文字を通してお会いして、少しだけ申し訳なかったような気がしてきた。
血を嫌っていると、地球と結ばれない。地球のマグマと血は繋がっている気がする。地球と結ばれていないと、魂はふわふわと浮遊するだけで、何も体験できず、何も創造できない。ようやくそんな事がわかってきて、心は浮世離れしていて霞を食っててもいいけれど、身体はちゃんと真っ赤な血を流してやらないといけないと解った。

私はかなりひどい鉄欠乏性貧血だった。婦人科で指摘され、しばらく鉄剤を飲んで改善して、それから再発しないように気をつけていた。血が濃くなったら、何となく自然にグラウンディングできるようになったよう。思いで現実を創造することも大切だけど、体の物質的な状態がより強く影響しているのは間違いない。体に舵を握らせてあげると、魂も住みやすくなり、生きることも自然に楽になっていくのかも知れない。