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保護猫の眼差し

隣接するI市の警察署に猫が沢山保護されていて、引き取り手を探しているというのを聞いて、母と一緒に見に行ったことがあった。詳しくは知らないけれど、どこかの動物病院の前に10匹以上の猫が捨てられていたらしい。子猫もいるということで、もし縁があれば引き取りたいと思っていた。シルくんが虹の橋を渡って半年ほどで、その空白が埋め難く、次の子を迎え入れたいという気持ちも強かったけれど、その反面、悲し過ぎる別れを体験したあとで、命をまた預かるということの重さに脚が震えてなかなか進めないという感覚もあった。

警察署の裏口へと案内され、その外にケージに入った猫たちがいた。子猫はすぐに引取先が決まったそうで、もう一匹もいなかった。大人の、警戒心に満ちた目の猫たちだけが残されていた。見つめると隅に固まってしまう猫、威嚇するのも疲れたように睨みつけるような眼差しを返す猫。子猫のうちから育てたいという気持ちで会いに行ったので、少しがっかりし、当初の予定のとおりにしようと大人の猫を引き取ることは考えずに、その場をあとにした。

なんとも後味の悪い罪悪感に似た気持ちが、胸の中に長く滞留した。あの猫たちは引き取り手が決まらなかったらどうなるんだろう。私はあの子達を見殺しにしてしまったのかもしれない。後々、すべての猫が貰われていったということを知り、安堵に胸を撫で下ろしたけれど、それでも苦々しい気持ちは消えなかった。選り好みをした自分の欲に対して。そしてその我欲に気づいても、行動を変えなかった傲慢に対して。

その後も、母が友人達に子猫を飼いたいと話していたら、その人脈で子猫を譲ってくれるという人が見つかったと連絡が来た。母がそんな話を進めていたことを私は全く知らなかったので、いざとなったら足が竦んで恐怖に固まってしまった。いつの間にか、子猫を新しく受け入れることが「恐怖」になってしまっていたことに愕然とした。

失ったシルくんに対しての愛が高まれば高まるほど、飼い主としての自分の至らなかったところばかりが鮮やかに浮き彫りになる。自分に動物と暮らしていく資格があるのだろうかと自責の念が膨れ上がり、それが自分へ向けての凶器となる。
恐怖に打ち勝てず、私はその話を断ってしまい、母の面目も潰す形になった。子猫は別の飼い主が無事見つかったそうで、やはり同じように、後になって胸を撫で下ろした。

保護犬や保護猫のボランティアの話など、美談を耳にすると、この時のことが胸にチクチクと突き刺さって思い出される。私は猫たちの幸せを想うよりも、自分の欲に負け、自分の恐れに負け、逃げ続けた。

この罪悪感をどう扱ったらいいかわからず、自分と対話した。可笑しいけれど、ぬいぐるみを抱き、その目を見つめながら、ぬいぐるみが私に話しかけてくれる言葉を心のなかで聞いた。パンダのおっくんは私に言った。
マミーは猫に悪いことをしたと後悔してるの? ちげーよ、猫の方でマミーなんかお断りだと言ってたんだよ。そんなこともわからないなんて、バカなの?
生意気なパンダはそう返してきた。
そっか。あの子達にはもっと素敵な飼い主さんが現れることになっていたから、私は気が進まなかったんだ。そう思うと、一気に心が解けていった。