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語学嫌い

外国語を学ぶために教室に通っている。初めての日に少し緊張して教室に向かうと、既に授業は始まっていて、内容もかなり先にまで進んでしまっている。私は右も左も分からないまま、萎縮して席についている。教師に指名され、答えを求められるけれど、全く解らず答えられない。教師の白く平たい眼差し。周りの受講者たちの、口元だけに浮かべた軽蔑の笑顔。

こういった夢を頻繁に見る。高校のときに語学が苦手と意識してから、ずっと続いている悪夢。英語だったり仏語だったり韓国語だったりすることもある。
中学までは、教科書があり、それに沿って教師が授業をしてくれた。高校に入った途端英語の授業はほぼ全て、指名されて文章を音読し、次にそれを訳し、間違ったらそこを指摘されてネチネチいじめられるようなものになった。私の通った高校だけかもしれないけれど、予習していかない限り全くついていけないし、指名された人がすんなり出来てしまえば、ほぼそのままスルーされてしまい何の指導もない。黒板に書かれた文字は一時間でたった一行だけなんて事もしばしばだった。新しい単語はどれで、何が重要な構文かというような授業はないに等しかったので、そんな中学までと全く異なるやり方についていけないということもあったし、ひとりひとりが全部辞書を引いて単語を調べ、自力で読解しなくてはいけないやり方を疑問に感じた。

自力で読解できること、正解を持ってくるのが当然で、答え合わせだけをするのなら独学と同じで、授業する意味なんかある? 私は昔からひねくれたところがあって、納得できないとそれに黙って従うことがどうしても出来ない。そのやり方に疑問を持ってしまった以上、素直に言われたとおりにすることに甚だしい嫌悪感を感じ、勉強する意義をこれっぽっちも感じられなくなった。そして気づいたら、英語が吐き気がするほど大嫌いになっていた。

大学に入っても同じだった。フランス語を選んだけれど、一年目は中学の英語と同じように教師が授業をしてくれて、それに沿って学べばよかった。だから授業は楽しかったし、成績もそこそこ良かった。二年目に入ると突然、指名されて読んで訳して…という高校と同じやり方になった。これは日本の語学授業のスタンダードなの?
苦手とか嫌いだと思っても、我慢して頑張れる人も多い。私は何故0か100かみたいに、極端に振れるんだろう。嫌いと思ったら油が水を弾くみたいに全く吸収しない。

もう少し効率的な学び方があるのではと思うけど、そう思うのは私だけで、独学に近いような弛まぬ努力が一番能力を伸ばすという理由でこんなやり方が採択されているの? それとも、教える側にとってそれが一番ラクなやり方だから?
努力根性で乗り越えるのが美徳とされ、素直にそれに従うのが正しいと信じる。言うとおりに動き、無理難題をふっかけても耐え抜いて成果を出す。そういう人物が社会では必要とされ、必要とされる人物を作り出すのが教育。だから本質として、自ら努力して耐えるように仕向けなければならない。そんな気がしてならない。もっと効率的に語学を学ぶ方法があったとしても、楽をするより努力根性で頑張ることの方が価値があるとされていて、その価値に従順であることを教育するほうが大事となっているように思える。

もっと楽しんで気軽に学べるやり方があったとしても、それではひたすら耐えて頑張る人間を製造するための「教育」としては、意味を持たないのでは。
そんな教育のままで良い訳がない。枠からはみ出した規格外の人だけがなにかを変革し、新しい地平を創造してきた。これからは全員が規格外となって、それぞれの地平を生み出す時代となるはず。そうしなきゃいけないはず。

とは言っても、私に語学のセンスが無いらしいということは変わらないのかも…。センスがない人に対して学習を強いる、ということも無くなっていくのか? でもセンスが有るかどうかを自己判断するのは難しい。自分で可能性を閉ざすことにもなる。

楽しんで取り組むことが最善の結果を出すことは明らか。学びを楽しむということや、興味のあることを自ら学んでいくことの価値はよく語られているけど、興味の持てないこと、苦手なことをどうするのかという側面は何も語られていない気がする。
嫌なことでも我慢してやるのに価値があるという古い価値観を無くさないといけない。いくら楽しめることを自由に追究できても、やりたくないことを無理強いされる部分も残っていたら、学びを嫌いになる土壌がそのままになってしまうと思うのだけれど。

小学校四年生くらいまでは皆が好奇心の塊りで、大人も驚くような疑問を次々にぶつけてくるけれど、五年生を境に、それがテストに影響するかどうか、大人からの評価につながるかどうかを優先するようになり、自由な好奇心を自ら封印してしまうのだと、何かの記事で読んだ。疑問を抱くことは得になることではなく、バカみたいなことを考えていないで勉強したほうがいいと、そういう考えになるわけだ。これまでの教育がどういうものなのかをすごく端的に示している気がした。