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今季最低気温の朝

母が体調を崩して入院した。生命にかかわるようなことではないし大袈裟に騒ぐほどでもないのに、ほぼ安定していた心の状態がまた少し不安定になってしまった。嘘みたいに時間をショートカットして昔に戻ってしまった感じ。調子に乗っていたが全然治っていなかったんだと思い知らされた。

母がいないと家に独りぼっち。兄弟もいないし、従姉が割と近くにいるもののかなり歳上なのでそれほど親しくしていたわけでもない。そもそも従兄弟の中で私は最年少。年老いたら誰も頼れない。未婚で子供なし、さらに病気持ちの私は、このままでは将来完全なるおひとりさままっしぐらだと思うと、湧き上がる不安に押しつぶされそうになる瞬間があるのは正直なところ。

そんな折に、急激な冷え込みで家の外の水道管が破裂した。
対策はしていたのだけど、ちょっと気が緩んだ翌日の朝予報よりも冷え込みが強く、十時半ごろ溶け出した水が吹き出した。すぐに業者に電話するも話し中ばかり、ようやく繋がったところも混雑していていつ行けるかわからないと言う。

止水栓がどこにあるかも知らなくて、噴水のごとく生真面目に吹き出す水を目の当たりにオロオロとネットを調べたりして、ようやく玄関先の地面にある蓋を開け止水栓を発見した。なんとかその日のうちに業者さんが来てくれ、来週水道管を取り替える工事の予定。凍結はきっかけであって、元々かなり老朽化していたのが根本的な問題とのこと。業者さんも凍結による破損で大忙しだとか。
それまで止水栓を閉めたままの生活。一日一度だけ止水栓を開け、一日分の水を溜め込んでまた閉める。

自分の調子も悪く、母もいないときに限ってなんでこんなことが!タイミング良すぎないか? 水のない生活を送ると当たり前ながら、いつも蛇口をひねればふんだんに水が出る生活が決して当たり前でないことに気付かされる。
以前もらっていた頓服薬を飲みながら、なんとか今日をやり過ごす。これもなかなか面白い体験だと思えば面白いものになる。結構楽しめている自分を発見して、それもまた面白がってみることにする。

 

いろいろなことがタイミング良く、あるいは悪く、重なって起こることがよくある。この物事の重複がなにか深い意義を持っていて、起こるべくして起こっているのだと御大層に考えることはしたくない。そういう驕りは大嫌いだ。

事柄と事柄を安易に無遠慮に結びつけて、まるで新たな星座でも作るみたいに、恣意的にあるひとつの図形を浮かび上がらせるのは、あまりに粗雑で品性に欠けている気がする。この偶然は偶然ではなく必然であり、きっとこれこれこういう意味を伝えてくれているんだ等々。何かをただ一つの正解と結びつけて単純に片付けることに対していつも感じる、激しい吐き気に似た不快。わかったつもりになるのが一番愚かなこと。意味に安っぽい帰結を纏わせて、プラスチックのように簡単に形状を捻じ曲げ、使い捨てる。そうならないようにしたいんだ。

かといって、物事は何の脈略もなくすべては完全なる偶然として時空に分布しているだけだというのも納得し難い。生命は何の意味もなく偶然生まれ偶然死んでいくのだというのと同じくらい。宇宙は何ひとつの秩序もなく膨張しつづけているのだというのと同じくらい。関連はあったとしてもその意義はわからない、わからないということに真剣でありたい。事象を整理しないままに浮遊させておく。短絡的に理解しようと形を都合よく歪めないように。