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宗教のない世界

私は自分自身に対して、あるいは亡き父親に対して腹を立てたことは数え切れないほどあるけれど、他の人に対してはあまり怒りを感じたことがない方だと思う。でも、まさに怒り心頭に発するという出来事が先日あった。

父の方は自分の家とほとんど縁を切っていたので全然知らないけれど、母方の家は、代々なんとなく日蓮正宗を信じているらしい。しかし母自身はまったく宗教心がなく、家を出た後は全くの無宗教で過ごしてきた。父も宗教色の強いようなことは「非科学的だ」というのが口癖で、毛嫌いしていた。

そんな家で育った私は世代的な背景もあり、両親よりさらに筋金入りの無宗教論者と言っていいと思う。日本人は多くが無宗教だと思うけれど、初詣をしクリスマスを祝い、なんとなくお葬式ではお坊さんを呼ぶというこのハチャメチャな常識が全く理解できず、理解できないものになんとなく流されるということが私には耐えられない。

私は、適当にあしらって心と裏腹の行動をするということがどうしても苦手だ。馬鹿正直だし本音と建前をうまく使い分けて世の中で上手く立ち回ることが出来ない。疑問を持ったら、疑問を感じたままその習慣になんとなく流されるということも出来ない。
そういう不器用で社会性のない人間で、それが一因で心の病気にもなったのだろうと思う。でも、私はそのような自分の側面を決して恥じてはいない。

母方の親戚の中に一部熱心な日蓮正宗の信者がいて、しつこく宗教新聞のようなものを持ってきたり、会話の端々にも宗教の話を差し挟んでくる。
母は以前、熱心な信者であった伯父と大喧嘩をして、「神も仏も信じない。私は自分自身だけを信じます」と啖呵を切って以来二十年も音信不通だったことがあるそう。私はその伯父の存在すら大きくなるまで全く知らなかった。なのでその伯父の娘に当たる従姉にもほとんど会ったことがなかった。住んでいる場所は車で10分ほどの距離なのにも関わらず。

その従姉に、近くに住んでいるために時々車での送り迎えをお願いしたりすることが最近増えた。母は運転免許を持っているけれど高齢になってきているし、慣れた道だけ運転してもらっている。私が精神科に入院した日も、タクシーがどこも出払っていて掴まらず、従姉に運転をお願いしたりした。

今回母が一週間ほど入院し、退院する際にも従姉に車を出してもらった。私が運転できればいいのだけど、かつて鬱がひどいときに免許の更新ができず失効してしまった。それでなくても元々ペーパードライバーだったけど。

その従姉は日蓮正宗の盲目的な信者で、私が入院したときもわざわざその教義を書いた分厚い本を差し入れしてきたりして、とても困っていた。母は適当にあしらっていたけれど、私は我慢の限界だった。嫌なものは嫌とはっきりさせずに曖昧にしておくのはモヤモヤした気分が残りとても辛く、憂鬱になるので、今日こそはと意を決して、もらった宗教新聞を突き返して今後このようなことをしないでほしいとはっきり言った。そして、私は相手の信心を否定する気持ちは毛頭なく、ただこちらの無宗教であるという信念を尊重してほしいのだと、できる限り穏和に言った。

そこからの逆ギレはすごかった。盲目的な信者たちには異なる考えを尊重するという概念がない。自分だけが正しく、それを受け入れない相手は完全なる敵であり叩き潰す対象になる。

先祖代々守られているのに無宗教もへったくれもない、先祖の徳を無視して思い上がっているお前に「信念」なんて寝言を言う資格はない。そんなだから精神的な病気になっているんだ。母親に頼って生きていて、独りでは何も出来ない甘ったれなくせに、そんな状態で偉そうに何を言う? そのような愚かな人間を救うために聖人様(?)の愛があり、信心によって救われるのだからそれを散々教えてあげているのに聞く耳を持たないなんてどれほど愚かなことか!──要約するとそのようなことをまくし立てられた。

私の病気のこと、稼ぐことが出来ないので両親の蓄えに甘えて生きていることは確かなことであり、それは私の最大の弱点であり、魂の傷口であり、地雷でもある。その傷口を敢えて狙って、泥まみれの不潔な靴で無慈悲に踏みにじられた気分だった。

無宗教であることが間違った考えであるならば、例えばキリスト教やイスラム教の人はどうなるの? 私はごく冷静な口調で尋ねた。従姉は、キリスト教は特に最大の邪教であるというようなことを(言葉は正確でないかもしれないけれどそのような内容を)明言した。長年治らない深い傷口がひどく痛んだ直後だったけれど、少しだけその言葉で楽になった。そして心のなかで失笑してしまった。従姉の言う教義を信じない愚か者という点では、世界中の何十億もの人と私は同じ立場なのだから。

落ち着いて考えてみると、今回の出来事で落ち込みや気力を失うような状態ではなく、激しい怒りをストレートに感じたということは、自分としてはとても良い兆候だと感じた。
自分の怒りの描く模様、心の痛みがどこから生まれどこへと動いていくのか、それを出来る限りそのまま言葉にして残そうと思い、とりあえずこの文章を書き殴った。

あまりに近い距離に住んでいるため、縁を切ることも難しいだろうけども、かつての母と伯父のようにしばらく音信不通になるかもしれない。でも、伯父はその大喧嘩の後で、母の考えを受け入れ尊重してくれるようになり、宗教の勧誘は一切しなくなったと言う。従姉は伯父よりきつい性格のようなので、どうだろう。外ー部でバリケード(ナイーブでデリケートの反対をこう言うのだと誰かが言っていた)な感じの人だから。


信心を持てば病気は治り、幸せな暮らしができる、そうしなければ不幸に陥ると従姉は常々言うけれど、自分自身はいつも小さな病気ばかり繰り返していて、いつもここが悪いここが痛いと泣き言ばかり言っている。その上離婚しており子供とも離れていて、家計も火の車であり、うちがお金を貸したこともある。
それでも日々の生活がどれほど苦しいかを顔を合わせる度に涙ながらに訴えてくるので可哀想になり、またそうして泣きつかれるのが正直面倒臭いというのもあり、母と私は相談の結果、それほど大変なら借金は返さなくてもいいよということを従姉に伝えた。従姉は、やめて〜そんなの駄目だよ〜と口では言いながら、後日、貸借関係はこれで完全に終了であり二度と蒸し返すことはないという念書を持ってきて、母はそれに捺印させられた。
熱心な信心がもたらすのはそういう人生だということらしい。母は、あの念書は呆れたよ、全く信頼されていないということだもの、としみじみ話していた。

そういう人が親戚であり、たまたま近くにいるということも興味深い経験。こうして文章にしたら、人生でかつてないほどの、腸が煮えくり返るという表現が相応しいほどの怒りを経験をしたのもめちゃくちゃ面白い経験だったな!という気持ちに落ち着いてきた。
今までのように適当に受け流さず、彼女に対してきっぱりと意思を表明したことは、1ミクロンも後悔していない。

これが信心というのなら、それは分断と傷つけ合いしか生んでいない。少なくとも私は今回のことで非常に不快な思いをし、心の痛みを感じた。それでもその痛みを与えた相手は正しいことをしたとして今でも自分を褒め讃えているかもしれない。そして自分のほうこそが被害者だと思っているのかもしれない。それで一体誰が幸せになるというの?

ジョン・レノンは国境のない世界を想像しようと歌ったけど、宗教のない世界というのも、同じくらい想像に値するはずだと思う。