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よく見えるのが恐ろしい

感覚過敏などについては人によって現れ方が千差万別で、あまりにも違うために人の話を聞いても共感できるものではないのだけれど、それに対して困っていたり逃げ回っている様子は共通している点が多くて、同じような人がいると思うと心強かったりする。
女性の自閉スペクトラムについての本を幾つか読んでみたけれど、医療や支援、研究に携わる人の書いた本は、私には何ももたらさなかった。やっぱり視座が全く違うんだ。アスパーガール当事者が書いた、たくさんの当事者の声がコラージュされて載っているものが一番良かった。中でもたびたび手に取ってしまうのは『アスパーガール』『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』の二冊。
結局は、当事者の声が一番参考になる。

「眼鏡の度は弱くしておくといい」というのをどこかで読んで思わず膝を叩いてしまった。私がまさにそうだから。それについて共感できるの初めてだから感激しちゃった。世界があまりにくっきりと見えてしまうと、情報過多になり、自分がどんどん縮こまっていくような感覚に陥る。解像度の高すぎる情報の津波が意識に押し寄せてきて、溺れるような感覚になる。歪みのない「事実」というものがくっきりと立ち上がり、それに一方的な暴力を振るわれるようでもある。「よく見えるのが恐ろしい」と言って、納得はできずとも、そうなんですね…とそれなりの理解を示してもらえることだって、今までの人生で有り得ないことだったから。「は?」という困惑と拒絶の反応しか返ってこないのが当然だもの。

よく見えないほうが落ち着くから、どうしても必要な場面でしか眼鏡はかけない。外出する時はよく見えたほうが便利なことが多くても、やっぱりデフォルトでかけていない。買い物で商品があふれかえる大きな店などに入ると、圧迫されて息苦しいような感覚。眼鏡無しならそれほどでもなく、どうにか耐えられる。よく見えないから必要なものを探すのに手間取ることもあるけれど、私はそこまでひどい近視ではないのでなんとかなる。
人がたくさんいる環境も同様。人には気配というものもあるから、視覚だけではまったく防ぎきれないけれど、ぼんやりと見えているというだけでもだいぶ楽にはなる。

聴覚過敏で耳栓をしているなんて話はよく聞くし、視覚過敏では蛍光灯の光が苦手とかいうのはよくあるけれど、この眼鏡をかけられないという件では初めて同様の意見を知ったので、ものすごーーーく気持ちが楽になった。やはり似て非なるというようなケースを耳にするのと、ほぼ同じというケースを知るのとでは安心度合いが違うんだ。だから、色々な人の色々な症状(というのは不適切かな)の詳細を知るというのがとても大切だと思える。

蛍光灯は気分のいいものではないけど生活の中で避けては通れなかったので、慣れてしまって麻痺してしまったという感じ。でも人の肌色がとても醜く映るから大嫌い。LEDのライトが普及してきた頃、LEDから発せられる光は「影の色」が不自然で、すごく気持ち悪いと感じて嫌いになった。これも最近はだいぶ麻痺して感じなくなってしまったけれど。気のせいかとも思ったけれど、影の色がどうにも気持ち悪い、本当の影の色と違う気がすると言って、解ってくれる人がいるだろうか?

私達にとっての適応というのは、麻痺させるということと同義なんだ。麻痺させて感覚を遮断すること。それを一元的に成長とか進歩とか成果とか言って喜ぶ。
あまりにも麻痺させたままでいると、精神の中枢まで浸潤して、生きるための最も根源的なエネルギーまで麻痺してしまうんだよ。