夜の国道X号線を、東に向かって歩いている。アスファルトの上を裸足で、膝丈のコットンのスカートを履いている。膝から下は剥き出しで、黒ずんで薄汚れている。コットンのスカートには何か柄が描かれていたけれど、意識が飽和していたせいかどんな色柄だったかが認識できない。ステンレスラックの上に三つの目玉のように並んだ信号機。赤色だけが不自然に大きく見える。他の二色の数倍は大きく滲んで見える。道路脇に規則正しく並べられた赤いコーンが、一つ二つ横倒しになって乱れている。交通整理をする人の持っている赤いライトがぐるぐると円を描く。闇の中に意味ありげに赤い色が配置されているけれど、私は意味を拒絶する。意識が遠くなるような気がして、信号の黄色にだけ集中するとなぜだか目眩は軽くなった。
私達はどこかペンションのようなところに宿泊していた。その部屋には巨大な丸テーブルが中心にドンと置いてあり、その上にありとあらゆる食材が並んでいた。グラノーラや様々な形状のパン、ふんだんな果物。世界中の朝食のすべてが網羅されたようなそのテーブルは、仲間たちに大変不評だった。丸テーブルの上に乱雑に放り出され溢れかえった食材たちは、いまにも世界の縁から落下して奈落に消える寸前に見えたのだった。地球が円盤のような形だと考えられていた時代のように。
仲間たちはそれぞれに、別のより良い宿泊先を探しに別行動しているのだったと思い出す。折角の機会なのだから可能な限り楽しまなければ損だよ。皆がそう言っていた。食べ放題みたいに元を取ろうという考え方に突然嫌悪感が湧き上がる。真っ黒になって裸足で歩き続けるのが元を取るという行為なのか。もと居た丸テーブルのペンションだって決して悪くはなかった。幼少期に母と過ごした「安心できる世界」に少し似ている気さえしてきた。テーブルの上は無秩序なようで、誰もの理解を拒むような種類の秩序があった。そして溢れてこぼれたものは自然に姿を消してくれるのだから、都合が良かった。
ペンションに帰ろうとしているのだが方向が分からず、自分を空っぽにすれば正しい方向を自ずと知ることができるような気がした。私は『汚れた脚』という歌を口ずさみながら歩き続ける。何度歌っても思い通りに感情を込めて歌えない。感情なんてものを込めようとするから歌の価値を穢してしまうのかもしれないと、ふと気がつく。
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中谷美紀の『汚れた脚』もう20年も聴いたことないのに…。