否定的なことも肯定的なことも全部肯定することが ありのままを受け入れるということ
全部肯定しかしていないのだから 「肯定的な発信」しかしていない
その時 否定的なものを生む必要がなくなって 肯定的なものしか生まなくなる
否定的なことも肯定的なことも全部肯定することが ありのままを受け入れるということ
全部肯定しかしていないのだから 「肯定的な発信」しかしていない
その時 否定的なものを生む必要がなくなって 肯定的なものしか生まなくなる
ホッとする方を選んでたら 何もしないで変わらず今のままが一番ホッとするのでは?と疑ってた
光が差すように感じられる方 あったかいような感じがする方
選択の時の基準
どちらにせよ選択によって運命が変わるといったことは本当はないから深刻にならずに
『素直に受け入れましょう
自分は正しいと主張するのをやめましょう
自分で自分を認めましょう』
こうしなくちゃいけない!と同化すると反転してどうしてもできなくなる
そうでしょう 矛盾してるよね
受け入れようと思ったらできないし
受け入れられた時は自然に受け入れられるようになっていたから受け入れられた
受け入れようとはしなかった
自分が絶対的に正しいと思ってるなら自分が正しいと主張する必要もない
正しくても間違っていてもどちらでもいい
自分が自分の絶対の味方であるなら 他人に認めて欲しいなんて思わない
『一房の葡萄』という有島武郎の短編が好きだった。何百回と読んだので子供の頃はほとんど暗唱できるほどだった。赦されるという体験を求めて、私は何度でもその本を読んだ。
絵の好きな少年は、港に停泊している外国の艦船の絵を描きたかったけれど、舶来の絵の具がなくて思ったような色が出せなかった。外国人の友達が持っている絵の具が羨ましくて、ある昼休み、船の絵を描くのに必要な二色だけ、友達の舶来の絵の具を盗んでしまう。
気づかれて言いつけられた彼は、若い女の先生の部屋に呼び出される。先生は決して少年を叱らなかった。泣きじゃくる彼の膝に、窓の外の蔓から葡萄を一房切り取って、静かに置いていった。
翌日恐る恐る登校した彼は、外国人の友の大歓迎を受ける。狐につままれたまま先生の部屋へ連れていかれる。先生は、友達は彼を許してくれたことを告げ、再び葡萄の一房を取り、銀色の鋏で真っ二つにし、仲直りの印として半分ずつ彼らに手渡した。秋になれば葡萄の房は粉を吹くけれど、それを受けた白い手のひらは今はどこにも見つかりません、と結ばれる。
私の父は、非常に劣等感の強い人間で、そのコンプレックスを隠すためならどこまでも傲慢になれる人だった。学業成績が全てで、人より上に立つこと、人を負かすことに何より価値を置いていたので、私にもそれを強要した。
その期待に応えなければ、本当に家から追い出され路頭に迷うことになると、小学生の私は半ば本気で信じていた。母も、家庭に波風を立てたくない一心で、完全に父の言いなりだった。
父は毎日帰宅するなり、「今日も猛勉強、猛練習したか?」と判で押したように尋ねた。その言葉はほとんど脅迫として聞こえた。尋ねない日は一日たりともなかった。
ピアノを習っていたので、毎日決められただけの時間、鍵盤に向かうことを約束させられていた。勉強の方も、毎日何をどれだけ勉強するかを厳密に決められ、スケジュールを自分で書かされていた。読書も、父の選んだ本、多くは課題図書などを買い与えられ、それを読むことを強要されていた。
私はその何もかもにうんざりしていた。窓の外を見知らぬ車が走ると、本当のお母さんが私を助けに来てくれたのではないか?と淡い期待に心を踊らせたりもした。
同居していた父方の祖母は、父と一卵性親子とでも言ったようにそっくりな性格だったが、父のように酷いコンプレックスはなかったためか、父とはまるで反対の対応を示した。ピアノの練習で手が痛いだろうと、手を揉んでくれたりした。それに飽き足らず、祖母は更に私を甘やかそうとした。今日は練習をサボっちゃいなよ、やったって言っといてあげるから。
父が帰宅して例の脅迫が始まる時、私は涼しい顔で嘘をつくようになった。
ひとつ嘘を付き始めると、雪だるまのように嘘は肥大していくものだ。私は与えられていたドリルの解答集を父の机から探し出し、全て答えを書き写し、自分で解いたと偽って父に答案を渡すようになった。
思いのほか嘘がうまいのに、自分でも驚いていた。このままずっとごまかしたまま行けそうな気がしていた。罪悪感よりも、嫌なことを避けて通れる喜びのほうがずっと大きかった。それでも、自分の中で逆流を始めた何かが、巻き込んではならないものを巻き込んで大きくうねり出したことを感じてはいた。
ある日、私は致命的なミスを犯した。答案を写すのに、解答欄を一つずつずらして書き込んでしまったのだ。これで全てが父にバレてしまった。
父は怒りを限界まで湛えた、般若のような顔をして私を見た。声を荒らげることはなかった。低い声で一言だけ発した。お前は悪い子だな。嘘つきだな。
父は、私を褒めるときには、何かが出来たから、良い点をとったからという条件のもとに誉めそやした。そして、叱るときには、私の全人格を否定したのだった。
この時、手元に抱えていた鍵を、奈落の底へと落としてしまったのかもしれない。その後の何十年も、自分の内の闇を手探りで、それを探し続けなければならなくなった。
その後、父は解答集をより念入りに隠すようになった。ピアノの練習は先生にバレない程度にサボることが続いた。私は既に、息をするように嘘がつけるようになっていた。
記憶に無いけれど、『一房の葡萄』も父が買い与えた中の一冊だったかもしれない。現実には、私を赦してくれる「葡萄の房」も「白い手のひら」も、与えられることはなかった。代わりに、この物語が私を赦してくれたんだ。