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銀色のうさぎ

仔うさぎを飼っている。白く艶がありシルバーグレイがかって見える毛色。とても大人しく、純粋で一片の穢れもないことは瞳を見ればわかる。私はうさぎを連れてブリーダーの家へ行き、一緒に生まれたきょうだい達に会わせようとする。きょうだいは3匹いて、小さな箱の中に入れられていた。私のうさぎを箱の中の隙間にそっと入れる。懐かしい再会となることを期待して。
きょうだいの中の一匹、ベージュ色をした一番小柄なうさぎが、猫がするように前脚を高く振り上げて私のうさぎに向けて振り下ろした。振り上げた前脚には大きな鋭い爪が光った。まるで折りたたみ式のアーミーナイフの刃のように見えた。私のうさぎの背中にナイフはぐさりと突き刺さった。背中には穴が開き、体内に満ちてきた血液が瓶の口からあふれ出るようにこぼれる寸前、私は咄嗟に手のひらを傷口に強く押し当てる。この子をこの子たらしめている固有の魂のようなものが多面体の結晶となり、血液と一緒に体の外にこぼれ落ちてしまいそうで。

なぜか私は親戚の住むT町へと向かい電車に乗る。そこには存在しないはずのビル群が林立し、雑居ビルの一角に動物病院がある。私は慌てふためきながら診察台にうさぎを乗せ、恐る恐る手のひらをうさぎの背から離す。傷口はすでに瘡蓋のようになっていて、瘡蓋も毛色と同じように金属的で美しいシルバー色に輝いていた。
うさぎはじっとしていて、痛みをこらえているのか、悲しんでいるのか、あるいは全く何も感じていないのか、さっぱり分からない。その瞳は相変わらず瑕一つない完全な球体であり、無のようであり永遠のようでもあった。

なぜきょうだいに会わせようなどと思ったのか、家の近くにも動物病院はあったのになぜわざわざ遠い街まで行ったのか、自分で判断したことなのにその決断の経緯が全く意識に残っていない。自分の誤った決断によってこんなにも愛しい私のうさぎを失うかもしれなかったのに、記憶をいくら掘り起こしても何も出てこないことに激しく苛立つ。世界から決断という行為がすべて消えてなくなればいいのにと思う。

無神経な人

精力のすべてを傾けて、普通の人の普通の言動を模倣することに努めていた子供時代。些細ないじめにあった体験があり、深刻なものではないけれど、周囲に無視されたり酷い言葉が書かれた紙が下駄箱に入っていたりした。何でも思ったことをズバズバ言っちゃうよね、無神経だよね、というようなことが書かれていて、うちのめされるような思いがした。毎日疲れ果てるほど自分の言動に心を配り、無神経なことを言ってしまわないように神経を張り詰めて生活しているのに、それでも無神経と言われてしまうのか。もうこれ以上どうしろっていうんだ!と。
他人が何を気にして、何を言われるのを嫌だと思うのかが結局よくわからない。

こういうことを記憶の中から掘り起こして書くことに何の意味があるのか、過去にかかずらわっていないで今を生きろ、と自分に言い聞かせていたけど、それでもふと思い出されてしまう時、それを言葉にしてこんな風に吐き出すことで、その時の思いを弔うことができて、その後度々思い出されることがなくなっていく気がする。

中学生の時、割と仲良くできていた子の家に三人で集まることになった。一人の子が遅れてくることになり、私と友達は二人で先に家に上がって、お菓子を食べた。友達は、三人目の子が来たら先にお菓子を食べていたことは内緒にしようと言った。私は深く考えることもなく二つ返事で同意した。その後三人目がやってきた時、私はその約束をすっかり忘れていて、友達が改めてお菓子を出してきた時にうっかり「また食べるの?」と言ってしまった。あっしまった!と思ったけれど後の祭りで、冷たい目で睨まれた。

先にお菓子を食べて待っていることが内緒にするほど悪いことなのかがわからない。嘘をついて食べていなかったふりをするのが、三人目の子に対する思いやりなのだろうか。今考えてもそう思えない。親切な嘘なのだろうけど、そんな嘘をつく意義がわからない。
何でも同調しようとする癖から、何も考えず口裏を合わせることに同意してしまったけれど、その意味がよくわかっていないから、約束が意識に残らずどこかに流されて行ってしまった。
もし私が遅れて行ったとしても、先に二人がお菓子を食べたとして仮に私だけ食べられなかったとしても、それは私が遅れたせいなので、何も感じない。先に食べたなんてひどい!と怒る人がいるのかもしれない。そんなふうに怒られて嫌われないように、潤滑剤としての嘘を予め撒いておくのだろうということは理屈で考えてようやく分かることで、感覚的には今でも全く分からない。
その事で仲良くしていた友達との関係にヒビが入ったりはしなかった。その子が許容してくれたのは幸いだったけれど、こうやって地雷を踏んでしまうのはまだ自分を律しきれていないってことだ。もっと気をつけないといけないと戒めた。
大人になっていくほど気をつけなければいけないことは増えていくのが当然で、最後は処理しきれなくなってメルトダウンしたという感じ。持続可能じゃなかった。
持続可能にするには、あえて地雷を踏むくらいの気持ちで生きるしかなくなった。それでもまだ、昔のように疲弊するのが怖いし、人の間で揉まれるのが苦痛で仕方ない。かといって完全に孤独に生きていく覚悟もできない。理解してくれ完全に許容してくれる、心からの安らぎを感じられる相手がたった一人でもいてくれることが、私にとっての究極の幸福なのだと思う。それ以上でも以下でもなくて。

暇つぶし

人生は暇つぶしだって誰かが言ったそうだ

大層な意味付けをしたがったり
仰々しい目的を掲げてみたり
運命だの宿命だの使命だの言っては
自分の人生を素晴らしく価値のあるものと思いたくて
大騒ぎして泣いたり笑ったり

暇つぶしに良いも悪いもない
正しい仕方があるわけでもない
暇つぶしを深刻な面持ちで苦しみながらしているのって
最高に滑稽で笑えるでしょ

頭空っぽにしてその瞬間したいことをする
したくないならしない
その連続をただ面白がっていればいい

錦鯉

庭に出ると、世界は白夜のなかに沈んでいる感じがした。ほの暗く白い闇のなかで、自宅のガレージが池になっているのを見つける。池は家の前の道路まで続いていた。塀の上に見知らぬ猫がいる。猫は身構えると、池のなかにぽちゃんと音を立てて飛び込んだ。水面は黒い波紋を描いて、妖しく輝いた。

塀の上に、数匹の猫がまた現れる。三毛猫だったり、茶トラだったり、それぞれ色柄が異なる個性的な模様を持つ猫たちは、次々に池のなかに飛び込んだ。池に近づいて、真上から水の中を覗き込む。猫たちは水の中を陶酔したようにゆったりと泳ぎ回っている。そのさまはまさに錦鯉のようで、それぞれの猫の模様が鯉の特徴ある模様に重なる。だんだん、それが猫だったのか鯉だったのかわからなくなってくる。徐々に弛緩していくように意識が遠のいて、猫と鯉の境界が溶けていくように、世界じゅうの境界という境界が曖昧になっていく気がする。

とろける毒ケーキ

夢のなかでドラマを観ていた。キム・ナムギルとムン・チェウォンが主演のスパイアクションぽい作品。王女がパビリオン竣工の祝賀儀式に参列した際、大きな柱が突然折れて大惨事となる。主演の二人は国家情報院のエージェントか何かで、王女を土壇場で救出する。王女を狙っているのは誰か。裏に暗躍する組織の存在がありそれは王室と通じている。

ムン・チェウォンは正義感あふれる情に厚い戦士のような女性で、裏表なく単細胞に見えるけれど大きな悲しみを隠している。キム・ナムギルは本音の全く見えないポーカーフェイスで、瞳には深い翳りがあり、謎めいた魅力を放つ。色気がありプラックホールのような引力で惹きつける。(この人はこういう役が断然良い!目覚めた後の私的感想ですが)

二人のエージェントはこの事件により命を狙われることになる。二人に届くホールケーキ。キム・ナムギルは行きずりの女性を自宅に連れ込んで、女性が浴室にいる間にケーキの箱を開ける。変哲のない普通のケーキは突然ブクブクと発泡しはじめ、毒々しい黄色い蛍光色の液体へと蕩けていく。ケーキはある時刻になると毒薬となるように設定されていた。もしそれを口にしていたら体内で毒物に変性していたことになる。ムン・チェウォンも狙われているに違いない、どうするナムギル! というところで目が覚めてしまった。