アスパーガールはかなりの割合で摂食障害を経験するらしい。男性のASDは多くが電車だとか戦闘機だとか歴史だとかに寝食を忘れて没頭したりするのが多いのに対し、女性のASDは自分の体型に尋常でないほどのこだわりを持ったりする。それはまさに自分自身がそうだったので納得できる。男女でこれほど違うものが同じASDとされるのが不思議なくらいだ。男性基準の判断テスト等で女性のASDが見つかりにくいのは、これじゃ当たり前すぎるほど当たり前だ。男女のジェンダー的な問題ではなくて、脳の特徴の現れ方が性別によって異なる場合が多いということで、ここで言っているのは社会的な問題じゃない。
摂食障害と言うと、成長期の母子間の共依存があったとか、大人になることを拒絶する心理があったりすると考えられる場合が多いようだけれど、私はこれには当てはまっていない気がしたので、ずっとスッキリしなかった。
アスバーガールはこうすべきと思ったら全身全霊を傾けてそれに臨むようだ。私もそうだった。若い頃、決して太ってはいなかったけれど、メディアなどでもてはやされる理想体型よりはややふっくらしていた。それは自分としてありえないことで、自分に許してはいけないことだった。運動もしてみたけれどまったく効果がなかったので、けっきょく食事制限一本槍になった。次第にエスカレートして、一週間くらいヨーグルトとおかゆを一口程度しか食べない、などという恐ろしいことをこの上なく真剣に実践していた。
当然ながら、行き過ぎると生命は危機を感じて無理にでも食べさせようと足掻くようになり、少しずつ食べる量を戻していこうと手綱を緩めた途端、過食が始まる。ひとくち食べだしたらもう止まらない。私は不器用で、食べたあとで戻すということがどうやっても出来なかった。それは今考えると不幸中の幸いで、割合に回復が早かったのもその御蔭だ。
けれどその当時は、吐き戻せないのでまた太ってきてしまい、頭をかち割りたいほどの自己嫌悪を感じた。そしてまた絶食を始める。それを何度繰り返したか記憶がない。
そんな自分をどこまで許せるのか、またどこまで自分をコントロールできるのか、という自分自身との終わりなき闘いだった。そのためには手段も選ばず、どんな醜悪で残酷なことでもする。他の人たちが普通にできることが上手くできず、社会に居所を見つけられず、そんな自分を正しい形に改造するために、意志の力で自己像を創り変えることさえできれば、全てが思うままになり、生きることも難しくなくなるに違いない。心も体も繋がっているなら、体を理想的に改造することできるなら他の全ても改造できるはずだ。
私は愚かにも、自分を創り変えることができると本気で信じていた。自分を抹殺することができると信じていた。
そして実態のない理想像を纏った怪物になり、自分自身を捕食して生きるようになる。どんな場合も成れの果てはそこに行き着く。それは魂の緩やかな死でしかなく、ずれてしまったいのちの歯車を元に戻すだけにすべての生命力を消費する。
過去の私に伝えたい。中年になったら胃腸も弱くなってすぐ胃もたれするようになり、今度は太りたくても太れないようになるのだから、血を吐くようなつらい思いをしてまで頑張るなと。理想という鋳型に自分を押し込めることが出来ても、それは形だけのことで、中身は何ひとつ矯正できない。むしろ鋳型からはみ出して無惨に切り取られた見えない何かが、常にあなたを困らせ、あなたに付き纏い、あなたに復讐をするようになるかも知れないんだよ、と。