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【 基礎代謝 = 魂が呼吸するために最低限必要な心の活動 】

カテゴライズ

分類するのに不可欠な必要悪? カテゴライズが苦手でどうしても違和感を拭えない。
ひとつの存在の中に様々な側面があり、その比率も角度もそれぞれ全く違う。それによって唯一無二の輝きが生まれる。
端数を切り落として単純化しなければ、それに妥協しなければ、カテゴライズやラベリングは成立しない。そうは言ってもそれなしに社会は回らないし、違和感を持つほうが馬鹿げていると思う人も多いのかもしれない。


それでもやはりカテゴライズすることの持つエネルギーが嫌い。そこへ属することで自分のエネルギーも微細に変質するのが嫌い。うやむやのうちに自分が型にはめられ、変形しているのにそれに気づくのも忘れ、変わり果ててから呆然として、元の形に戻りたくても元の形がなんであったかを思い出せない。そうなることが怖い。


カテゴライズのない混沌の中に生きたいと夢想する。
そのためには、ただ嫌って遠ざけて、というのではなく、共存しつつそれに惑わされないようになることが必要なんだろう。何かを無くしたいなら、それと共存しつつ影響を断てるようになることが唯一つの方法だということを、私は人生かけて学んでいる最中なのだと思う。

 

陽光と交わる花

菜食主義者』ハン・ガン著  読了した。
アマゾンのカートに入れっぱなしにして三ヶ月ほど、ようやく勇気を出した。
以前にも少し触れたけれど、この作品を映画化した『花を宿す女』を先に見て大変な衝撃を受けていたので、強く揺さぶられるのが怖くてなかなか読めなかった。


抑揚を抑えたミニマルな文体が美しく、時折挟まれる、恐ろしく的確で飾り気のない比喩が針のように突き刺さる。詩的で絵画的。かけがえのないほどに素晴らしく、またあらゆる意味で恐ろしい小説だった。


置かれた立場で求められた行動をするだけだった主人公ヨンヘは、突然肉を食べないと宣言し、その理由を尋ねれば、ただ、夢を見たからとしか答えない。
血なまぐさいイメージに取り憑かれ、夜も眠れなくなって痩せ細る彼女と、そんな彼女を全否定して “正常” に戻そうとする家族たち。殺される生命と、殺そうとする生命。生肉のグニャリとした感触と、滴る血に染まる唇と。原罪を抱えた獣としての自分を、彼女の意識は延々とリプレイする。


肉食以外にも、ブラジャーをつけることを彼女は頑なに拒む。常に付きまとう胸のつかえ、異物感。食べた肉は消化され姿を消してしまっても、その魂はずっと胸に詰まっているという。
ブラジャーには、個人が必要とするものというより、多分に社会的な側面がある。本能と切り離されて、社会を構成する一員として求められる行動をするために必要なもの。本能を制御することの象徴のようにも思える。
本能を抑える為のものだから、それを拒んでいるのか。
肉食が本能であるから拒むのか、あるいは本能と矛盾するものだから拒むのか?
人は社会の中で本能と折り合いをつけてうまくやっているようであるけれど、自分で思うほどそれをコントロールできているものなのか? コントロールされているのはどちらなのか?
様々な問いかけがやってきては流れていった。


ヨンへの義兄のビデオアート作家は、ヨンヘに未だに蒙古斑が残っているということを聞き、そこから閃きを得る。芸術的な衝動と、性的な衝動とが溶け合って一体となったものが、彼に火をつける。
彼の視線を通して、ヨンへの肉体と精神の陰影が立体的に浮かび上がる。
光を浴びる花と、それが形作る影と。それでも花のなかにあるどろどろとした闇を、彼は知ろうとはしない。それは彼の芸術に必要ないから。
互いの肉体を通して、植物と交わる女と、アートと交わる男。そこに真実の接点があるのだろうか。その問いかけはとても哀しい。彼女と彼女を理解しないものの間には、無限にも近い絶望的な距離があるように感じられる。
光合成の跡のような」と形容される蒙古斑は義兄にとって、畏怖の念にも近い、全てをかなぐり捨てても突き進まなければならない絶対的啓示だった。
彼女にとってそれは、宿命を炙り出す、残酷な起爆装置のようなものだった。


皆が生き散らかした後始末を、責任感が強く誠実で、世事に長けたヨンへの姉が一手に引き受けなければならなくなる。姉も生育履歴はヨンへと重なり、暴力的な父のもと、服従することで生き延びてきた。
ヨンヘは肉食を拒み、植物と交わることを望み、植物になるためにすべての食事をを拒む。そうして正直に、自分の意志で、生きる(生きない)ことを全身で望むのに対し、姉は幼いときから、ある種の「卑怯」さによって、積極的従順に逃れてきた。我慢と配慮だけの人生。「一度も人生を生きたことがない」。


大地が割れ、クレバスのような深淵を覗き込みながら、その縁で立ち竦む。そこへ軽々と身を投げる妹にどこかで憧れながら。
私自身、自分はヨンヘに似ているのではないかと思って、読み進めるのが怖かったのだけれど、むしろ姉の方に似ているようにも思えてきた。
ヨンへの魂が光合成の夢に満たされゆく中で、今や姉がいちばん過酷なものを背負っている気がする。限りなく境界に近づきながら、幼い子を持つ母でもある姉は、境界を超えていくことは許されない。これからも深淵の縁で堪え続ける選択肢しか持たない彼女。それが人生を生きることを放棄した自らに対する罰であったのかもしれない。そして、慣れ親しんだ、永遠の業火の中でしか彼女は安らぐことができないのかもしれない。


ヨンヘが逆立ちをし、両手が根となり、脚を開くと股から花が咲くという妄想的イメージがとても強烈だった。映画でそのシーンを見たときは言葉を失った。植物にとっての光合成とは、陽光と交わることを意味するのか。その捉え方は少なからず衝撃をもたらした。
ラストシーンで姉がにらみ続ける蒼くうねる森は、ヨンヘがそこへ同化し救済されることを望んだのと対象的に、姉にとっては、自らを焼く業火を投影したものだったのではないだろうか。そんな気がした。


そして、これらのすべてが夢なのだ、夢はいつか覚めるのだと呟く姉は、これからも生き続けていくだろう。
なぜだろう、この絶望的にも見える結末に、どんな励ましやポジティブな言葉の数々より、力強い支えを得たような気分になった。
苦悶の末に涅槃に達したかのような静けさが広がった。
私自身、深淵のそばでそれを見つめてきた人間だからだろうか?


菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

死刑判決

駅を降りて、千人ほどを収容する小さなホールへ向かう。駅前は既にネオンサインが点灯し始め、家電量販店から大音量で流れる宣伝音楽がうるさかった。最後の審判を受けるような心持ちで足を進める。
ホールは駅前の喧騒と裏腹に、閑静な環境にあった。薄闇に沈みながらその建物は静かに呼吸していた。入り口を曲がると、ホールへと向かう黄色い声の女性たち。そのなかに混じり、私は息を潜めた。
私の席は前から十列目ほどの右寄りだった。じっと着席して待つ間、開演してしまうのが怖かった。


私は、ステージ上の人に恋をしていた。それが恋なのか、憧れなのか、愛なのか、執着なのか、ストーキングなのか、自分でも既に全くわからなくなっていた。
ステージ上の人と今たしかに同じ空間にいるのに、まるで映画のスクリーンを見ているか、あるいはまるっきり別の次元を分厚いガラス越しに垣間見ているかのように思われて、生の声を聞いていても全く現実感がなかった。
お前はあの人とは違う次元に居るのだ、接点などあるはずがないと、そう知らしめられることが何よりも辛く苦しい罰だった。


予想通り、私は罰されて、死刑判決が出た。そんな心境だった。終演し、他の観客と一緒にホールから吐き出される。駅へと戻る道はどこまでも黒く続き、私は夢遊病のように魂の抜け殻となって歩いた。


たしかにこんな記憶があるのだけれど、それが現実の出来事で本当にホールへ行ったのか、あるいはそんな夢を見ただけなのか、わからなくなっていた。
あまりに惨めで辛い記憶だから、現実として受け入れられず夢のように感じるのか、逆に生々しすぎる感情を伴った夢だから、現実のように感じるのか。


もしこれが夢だったとすれば、他のすべての記憶、すべての感情までが現実のものでなくなってしまったような感覚、まさにすべてが夢と潰えたようだった。
過去の記憶も感情も全て実体がなかったと感じることは、自分の存在まるごと消えてしまうような恐ろしさだった。そのうえ、ステージ上のその人も、実在しないことになる。


かといってこれが現実であれば、この心理的な死刑判決も現実となる。
私は夢の中で、これは夢なのか現実なのかと逡巡していた。そしてどちらでもあってほしくなかった。

 

迷ったら、やらない

迷うのなら それは必要ないということだ
迷ったらやってみるという人もいるけど 人生を複雑にするだけでは
私にとってはそんな気がする


迷ったらやる方が経験値を増やせるし いいことだと思っていたから
それを正しいとして傾いていたから 反転して苦しくなった
迷うべきでないと思うほど 迷うことが増した

 
したいと思っているのか しなければいけないと思っているのか 区別がつかなかった
だからやりたいと思って始めたはずのことが すぐに義務となってのしかかった


そんなことばかり繰り返し 自分が全くわからなくなって 疲れ果てた
迷うのは まだその区別がよくわからないからかもしれない
本当にやりたいことなら 迷いながらも先に進んでいるのでは
迷うということは 思考が義務として私に課していることなのかもしれないから
距離を持ってみることにした

 

セラミックの死体

『セラミックの死体』という名の、女性お笑いコンビがいた。
非常にダークなネタ、廃墟のような空気感。社会風刺も絡ませ、最高にシュールな切り口でアバンギャルド
彼女らはいつも、衣装のどこかに紫色を取り入れる。それも、ラベンダーなど優しい紫ではなく、毒々しいほどのロイヤルパープル。紫色のシャツに、相方は紫の縁のメガネ。あるときは紫色のスキニーパンツに、相方は紫色のキャップ。片方の女性は髪が長く、毛先の方だけをブリーチして、そこに紫色を入れていた。茶褐色から紫へのグラデーションがなかなかお洒落。


知的でスタイリッシュで、すごい人達が出てきたなぁ、と感心して見ていた。ネタの詳細は、残念ながら覚えていない。

 

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