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多くを与えられすぎた罰

『バベル』 2006年の映画を観た。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品。


バベルの塔が崩れて、言葉が通じなくなった。
現代人も天まで届く塔を建てようとした。言葉は既にバラバラでこれ以上奪えない。それでは今度は何を奪われるのか。
当たり前の安定した生活? 失うまでは当たり前だった健康? そばにいるのが当然だった家族?
心にいつも温かく存在するはずの愛?


ライフルを撃ってしまうモロッコの少年も、メキシコ人の家政婦のおばさんも、母を失った日本の聾の少女もすばらしい演技で、個々に淡々と展開してきた物語が、一本の糸で結ばれ、最後に向けてグッと集約されてエモーショナルな渦となり高まってくる。
そこで坂本龍一さんの「美貌の青空」という曲が使われていて、急激に感情が昂ぶるのを感じた。この曲が以前から大好きだったのだけれど、今までに聞いたのとまるで別の曲に聞こえた。私が感じていたのとは別の文脈で使われているような気がしたからかな。
特に日本の女子高生の孤独は底無しに深く、摩天楼が高くそびえ立つほどにその闇も深くなるようで、胸が焼け付くように痛くなった。


この世の苦しみは天空の塔の罰なのか。多くを求めすぎた罰なのか、多くを与えられすぎた罰なのか。その罰から私達が思い知ることは一体何なのか。そこから何を学ぶことができるのか。


罰を与えているのは誰なのか。それは結局、根源的な自分自身なのではないか……?
つまり罰というものは、究極的には愛そのものなのではないか。
そんなことを考えさせられる映画だった。