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マルーンの樹

マルーンは、父と二人で暮らしていた。人里離れた森の、丸木造りの小さな家。暖炉の前で、父はマルーンの長い髪を編んでいる。パチパチと薪が燃える音。温かい橙色の濃淡が、二人の頬に揺れている。まだ幼い彼女の髪はとても豊かで、腰よりも長く、深みのある栗色をしていた。
三十路を越えたばかりの、美しい顔立ちの若い父親は、裏にある粗末な作業場で一人、鍛冶仕事をして生計を立てている。穏やかで寡黙な彼には、それが性に合っていた。「マルーン」と娘を呼ぶ彼の声は、薄闇に光る深緋のビロードのように、滑やかで、深く、柔らかく響いた。

マルーンは、時折遠慮がちに、自分を捨てていった母親のことを尋ねた。父は、決して母を悪く言うことはなかったが、代わりに肝心なことは何一つ話さない。マルーンは父の気持を汲み、それ以上は何も訊かない。何も聞かされていなくても、彼女にはわかっていた。産みの母は、血の繋がらない彼に娘を押し付けて、二人の元を去っていったのだということを。
確証もなく、それは彼女の空想なのかもしれなかった。答えはもやの中に隠され、見えないけれども常にそこにある。或る種の秘密を大切に分かち合う共犯関係のごとく、父と娘は真実を入念に閉ざし、その絆を強くした。父は娘をどこまでも深く愛した。父にとって、マルーンは自身の一部であり、マルーンにとって、父は世界の総てだった。


マルーンが17か18になった頃、父は病に倒れた。父は、娘を長く守っていくことは不可能だと悟った。二人の魂は絡み合い、融け合って、地中深く共通の根を張る、一本の樹としてそびえ立っていた。片側を失うことは、文字通り、生木を裂くということにほかならない。二人の樹は、青々と茂る葉を落としたことは一度もなく、剰りある果実を実らせてきたというのに、突如として黒く焦げたむくろと化してしまった。その落雷は、マルーンから世界を奪った。

エデンの園を追われ、天涯孤独となったマルーンは、渇きを抱えたまま歩きつづけた。年頃になり、彼女は何人かの男性と知り合った。叶わないと知りつつも、父の面影をそこに重ねずにはいられなかった。彼女が男性たちの中に見たものは、父の背中の幻影と、父の瞳の中には一度も見たことのない、異質な光だけだった。失望した彼女は、そのうちの一人とすぐに結婚をした。相手は誰でも構わなかった。


マルーンの樹は、春が来ても、夏が来ても、茂ることはなかった。緑陰に佇む記憶の中を、秘めやかに旅することさえ、許されなかった。目を閉じ、眠るように日々を取り零す。夫は、眠り続ける妻を揺り起こそうと努めたが、やがてそれが無駄であると知り、妻をまるごと諦めた。
冬が来ると、丸裸のマルーンの樹に、凍てつく烈風が吹き付けた。世界が白銀に覆われたある日、マルーンは雪の重みで折れた枝のように、音もなく崩れた。そこはどんな音も存在しない世界。マルーンの耳には、父が彼女を呼ぶビロードのように優しい声だけが、永遠に響いている。

二十年ほど前に見た、前世の記憶のように生々しかった夢。あまりに心を揺さぶられて、旧サイトに載せてある短い物語を書いたりもした。目覚めたとき涙を流していたのを覚えている。