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共犯関係

ドラマ『ザ・グローリー〜輝かしき復讐〜』 Netflixにて視聴。 

描かれている共犯関係に圧倒的に惹かれる。
底のない泥沼と、果てのない闇の中で一人生きる——生きることを放棄して生きるという覚悟。差し伸べられた手を掴むことなく、拒みながら、それでも一歩ずつ歩み寄っていく。私だったら頼り切ってしまう。弱すぎる。彼女が強すぎるのか。強くならざるを得なかったから。

「共犯関係」というものに昔からとても惹きつけられる。限りなく愛に似ていて、混ざり合っていく。境界線が見えない。
他の誰とも共有できない、心の最深部にある、どろどろとした闇と最も貴重な自分の本質とが混じり合ったマグマのような熱い暗黒。それを互いに見せ合い、触れ合って、共有するということは、限りなく「愛」の後ろ姿に似ている。それが羨ましい。私もそんな絆を結んでみたい。それにはこの灼熱の暗黒を胸に抱き、その熱さに耐えなければならないのだけれど、私も似たようなものは抱き続けている気がする。

人生も、人間としての最低限の矜持も、粉々に壊されてしまった彼女。壮絶ないじめのシーンに目を覆いたくなったけれど、あの壮絶さが丁寧に描かれていたからこそ後で効いてくる。
復讐劇というものは、単に本懐を遂げてスッキリとしましたというカタルシスだけが目的だとどうにも薄っぺらいので、大抵はその残酷さも共に描く。復讐という麻薬に毒されて、それを果たしたあと引き換えに取り返しのつかない後遺症が残るとか、復讐相手の心が見えてきて、そうならざるを得なかった背景などが視界に入ってきて、苦悩し始めるとか。そのように罪と罰の本質にまでライトを当てないとつまらなくなるものだと思う。
でもこのドラマは勧善懲悪と言ってもいいくらいに、主人公は何一つ悪いところがなく完全なる被害者であり、加害者はどこまでも救いようのないクズとして描かれる。

加害者の背景まで丹念に描いて、悪の側にも血を通わせるドラマが多く、悪役がとても立体的で魅力的なのが韓国ドラマの特徴だと思っていたけれど、このドラマはそれとはアプローチが少し異なっていた。悪役は徹底して人間離れした外道で、破滅していくさまに一分の同情も抱けない。
復讐する側も、徹底して自分というものを捨て去っていて、人生をすべて捧げている。復讐を終えて満たされたい、幸せになりたいのではなく、それを終えて、遅れてきた死を抱き取ろうとしている。徹底した無を孤高に生きているさまが潔くて、その凍りついた無表情が雪の結晶みたいに美しい。ソン・ヘギョがそんな彼女の人生を見事に浮き彫りにしていて、凄みを感じさせる!

復讐劇としては単純なシステムながら、一般的なものとは違う角度から深い光と影を映し出す。そこがとても斬新なポイントで、新しい復讐劇の形。鮮やかなんだけど、無彩色なんだ。何もかもが極に振れていて、ハウリングするように轟音が耳をつんざく。それでいて、その振れ方が一つの哲学みたいにも思えてくる。

寄り添ってくれる共犯者の存在が、彼女の新たな生きる理由となる。二人を結ぶのは新たな復讐の計画ではあるのだけれど、その絆は生涯揺るがないであろうということがわかる。次の復讐が終わったとき、二人はどんなふうに向かい合うのだろう……そこまで想像してしまう。心から二人の愛の形を見守りたいという思いが生まれ、深く共感し、自分を重ねて見ている自分に気づいた。