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隕石の堆積場

むごい人生を何度でも

韓国ドラマ 『梨泰院クラス』
「愛の不時着」と話題の双璧を成すこの作品も観てみた。私にとっては「不時着」よりずっと素晴らしく、胸に迫る傑作だった。

復讐は、する人の人生も破滅させてしまうことが多いけれど、このドラマでは、復讐は成功への原動力であり、道標でもある。敵を一面ではリスペクトし、敵と同じ道を歩み、それ以上の成功をおさめることによってひれ伏させようとする。敵よりも大きな存在に自分を育てること、それが彼の復讐の本質。

敵が財力を背景に奸計を弄して来るのに対し、あくまで正攻法で真正面から戦い、どんな窮地に陥ろうとも信念を曲げることはない。いつも心には父の言葉が響いている。「信念を貫くお前を見て、どれほど誇らしく思ったか分かるか?」
金持ちのドラ息子のあまりの横暴を腹に据えかねて、一発殴ってしまった彼は、ドラ息子の父親に土下座での謝罪を求められ、それを潔く突っぱねた。それによって高校を退学させられ、ドラ息子の父親の会社に勤める彼の父は、自ら退職する。息子の信念を折るくらいなら、自ら進んですべてを失う道を選ぶ。すべてを失ったあとでの父のこの台詞。父の深い愛に感涙した。父が息子に対してできる最大の教育は、自らの生き様を見せ、それを息子の魂に刻むこと。
そしてドラ息子とその父親が、彼の生涯をかけた復讐の対象となっていく。

前科者、トランスジェンダー、黒人ハーフ……こういったマイノリティーの集合体が、自らを弱者と認めて貶めることなく、敢然と強者に立ち向かっていく姿は爽快で、胸がすく思い。一人ひとりのキャラクターを単なる「キャラ設定」にとどまらず、人物としての陰影までしっかりと表現できるのが韓国ドラマのクオリティだといつも思う。

中でも、主人公パク・セロイに片想いをし、片想いし倒した末にとうとう振り向かせてしまうチョ・イソの人物造形が、抜きん出て素晴らしいと思った。
努力して足掻いて、社会のなかで上を目指そうとしたところで得られるものがどれほどのものか、あらかじめ見えてしまうがゆえに、刹那的に生き、斜に構え冷笑的で、ソシオパスとまで言われた彼女。そんな小賢しい諦観など焼き尽くしてしまうほどの圧倒的な熱量を持ったセロイに出会い、苦しみ悶えながら、生きること=愛することに開眼していくさまに、本物の美しさを感じた。そこに人生の美しさが凝縮されている。
猫のように自己に忠実で、揺るぎない自信を持ち、なんと言われようとやりたいことをやりたいようにやる。ただ気儘で自由なだけでなく、セロイも鋼のような信念の人だけれど、イソも同じだけの強さを貫くことができる人だから、ふたりは響き合うことができたのだろう。

ツァラトゥストラかく語りき」を読みながら、──むごい人生よ、何度でも──という一節が今ならよく分かる、とイソが呟くシーンがあった。こんな世界に生まれ変わりたくないと思っていたけれど、今は違うと。
私もそうだった。こんなむごい星、むごい社会に二度と転生してきたくない、早くアセンションしてこんな牢獄のような場所から飛び立ちたいと、どこかでまだ願っていた。
むごい人生ならばこそ、何度でも生きたいと思えることが、ほんとうの意味で人生を愛するということ。それがこの作品が力強く訴えかけるテーマ。強く揺さぶられ、ガツンと殴られ、目を覚まさせられた。

何度でも泥にまみれ、傷つき、息も絶え絶えになりながら、それでももう一度人生を精一杯生きたいと心から願えるようになることが、解脱するということなのかもしれない。そう思えたら、人生には愛と幸せと感謝しかなくなる。逆説的に、何度でもこの星で人生を生きたいと思えてはじめて、輪廻転生を卒えることができるのかもしれないと思った。