自分の書いてきた文章も、他の人から見たら価値を感じてもらえない、読む気にならないつまらないものかもしれないけれど、私自身にとってはとても大切なものだし、価値のあるものだということは間違いがない。理解されなくても構わない。それは「わたしの世界」を表現したものだから、私だけしか理解できないものかもしれない。
私が自閉的だからなのか、人に理解してもらいたいという気持ちがとても少ない。むしろたやすく理解されてたまるかという、復讐心めいたものがあるかもしれない。他者に理解され共感されなければ価値がないという、ステレオタイプな概念への復讐心。
そもそも芸術などは、人の精神の無限地獄を覗くようなもの。だからこそ惹かれるけれど、だからこそエネルギーがないと向かい合うことができない。
今朝も夢を見た。私の書いた小説が全く評価されず、私から見るとつまらなく感じるような内容の小説を書いた仲間が絶賛され、教授たちがたくさんのコメントを寄せている。私の愛犬ネルが書いた作文まで、私より高い評価を得ていた。
けれど、高く評価されるような書き方に変えていこう、そして他の人より高い評価を得よう、とは絶対に思えないのだ。それでは「わたしの世界」の表現ではなくなってしまい、私が表現をするための元来の衝動さえ見失ってしまうことになるから。
無我の境地というものは、わたしというものをなくして行って他者や社会に迎合した先には見つからないと思う。世界をわたしで埋め尽くして、わたし以外のものがなくなったとき、わたしが初めて「無くなる」のではないかと思う。自閉症の作家ドナ・ウイリアムズの著作を読んでそんな気分になった。閉じることは究極的には開くことと同じようなものなのかもしれず、悪ではないんだ。
ただ、100%自分を顧みずに他者のためにだけ生きる事ができないのと同じように、世界をわたしで埋め尽くすことだけにも生きられない。それだけのこと。