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狂っているのは誰

朝起きると、外は薄暗く、時間の感覚が麻痺している。朝なのか夜なのか全くわからない。それでも目覚めたということは高校に行かなければいけない、それだけがはっきりとわかっている。夢の続きを無理やり継ぎ接ぎしては、布団の中でまどろんでいた。けれどいつまでもそうしてはいられない。

考えてみたら、私ひとり大人になっていて、学校に行けば、SちゃんもAちゃんも高校生のままの姿だ。こんなおかしなことがあるはずがない。私が大人になっているなら彼女たちもいい大人なはずだ。そんな状態で高校に行かなければいけないなんて、何かが狂っている。
狂っているのは私の頭なんじゃないか。全ては悪夢のような妄想の中の世界なんじゃないか。

それでもお母さん、あなたは私に学校に行けというの? それだけしか言葉はないの?
私もいい大人になって、お母さんもいい年になって、私より先に逝ってしまうのは確かなのに、狂った娘を放り出したまま、ますます狂った妄想と現実の狭間に追い込もうとするの? あなたがいなくなった後、私はこんな状態で一人ぼっちになって、どうやって生きていったらいいの? 

恐怖が渦を巻いて襲いかかる。泣き叫びながら母に訴えた。
母がそこにいるのかいないのか、聞いているのかいないのか、それすら私にはわからなかった。世界の全てが歪んでいた。在るべきものが在るべきところになく、無いはずのものがそこに在り、在って欲しいものはどこにも無かった。

究極のハーモニー

キリンジが解散するとの情報が流れている。新しいメンバーを募集していて、入れたらいいのにと勝手な妄想をする。
次の瞬間、私はすでにメンバーに応募していて、スタジオで面接の順番を待っていた。

隣にあるガラス張りのブースから、キリンジの二人が歌っている姿が見え、歌声が微かに聞こえてくる。見事なハーモニー。単に和声としてのハーモニーだけでなく、彼らの持つ目に見えないエネルギー、気のようなものが混じり合い、共鳴して増幅し合い、この世のものとは思えないほどの美しい調和を醸し出している。美しい二つの色彩が渦を巻いて、中心点に向かって求心していく。二つの色はマーブル模様を描いて、溶け合いそうで溶け合わず、弾き合いそうで弾き合わず、完全に混じり合うことはなく、それでいて、深く愛し合っていた。

このハーモニーを、誰が入ったって超えられやしない。応募をする側も、応募に応じる側も、ひどく馬鹿なことを考えたものだ。恥ずかしくなり、すぐに逃げ帰りたくなる。


キリンジ、久しく聴いていないのに、なぜ今夢に出てくるんだろう?
『エイリアンズ』は胸がキュンとして死ぬ。『愛のcoda』という曲は素晴らしすぎて、発狂する。

息もできないほどの退屈

ビルの一階ロビーで人を待つ。誰かと一緒に朝早くここへやってきて、その誰かの用事が済むまでここで待っている。
昼下がり、ガラス張りで通りから中がよく見えるそのロビーの片隅で、白い小さなソファに座り、退屈しのぎにテレビを見ている。テレビは高い位置に設置され、少し首が痛かった。午後の陽射しが溢れんばかりになだれ込み、何もかもが明らかで、ガラスに反射する光の角度まで目算できそうだった。

テレビでは、韓流ドラマのダイジェスト版みたいなものを放送している。かつて見たことのあるドラマのワンシーンが流れた。チェ・ジウとその兄役の俳優が、まさに私が今いるビルの入口にいる映像。二人は中へ入ろうと、入口前の階段に足をかけたまま会話する。
私はもうすっかり人気者なんだからね!私がステージで唄うのを見たらびっくりするから!
そうなのか、お父さんは何も知らなかった、お前がそんなに活躍していたなんて。

あれ、お父さんだったっけ? お兄さんじゃなかったっけ。おかしいな。記憶を手繰ってみても、どうしてもその俳優は主人公の兄だった気がする。年格好を考えたって父親なはずがない。狐につままれたような気分でいるうちに、二人のややクサい芝居(失礼)が終わり、画面には次のドラマが紹介されている。

私の座っていたソファはいつの間にか、長机とそれを囲むたくさんのパイプ椅子に変わり、私は大勢の中のひとりとしてパイプ椅子のひとつに腰掛けていた。
人々の話題は、テレビのなかの俳優が大企業の汚職に関わっているというような噂。ゴシップ的な興味を持つ人々と、政治的なニュースとして関心がある人々が、ひとつの机の上にそれぞれの意見をぶちまけた。トランプとタロットカードがごちゃまぜになったようなテーブルの上のエネルギーが、眠りについた蛇のように、渦を巻くような形で滞留していた。私はどちらだって重要なことだとは思わなかった。

私は退屈していた。待っている誰かが早く来ないだろうか。いつまで待てばいいのだろう。うんざりするほどの無為の積み重なり。その下敷きになって息もできない。
待っていたのは母だったような気もするし、他の誰か、とても大切な人だったような気もするし、その点だけが靄がかかったように曖昧だった。

真実の鏡の法則

目の前の人は自分の鏡だ というけれど
目の前の人の言動に腹が立てば立つほど
それが自分の鏡だということが受け容れられなかった

苛つくその人の行動が自分の写し鏡だなんて
自分も同じような嫌な部分を持っているということだ
自分もあの人と同じような最低の人間なんだ って

そうじゃなくて
目の前の人の許せないところは 自分に対して許していないところを示している


好き勝手に自分の理屈で行動する人に苛立つなら
好き勝手に自分の理屈で行動することを 私自身に許していないってこと
やりたいことをやりたいようにする自由を自分に与えていないということ

自慢話に腹が立つなら
私自身が自慢することを許していないってこと
自分はできるんだ凄いんだと思うことを自分に許していないということ

何度もしつこく話しかけて絡んでくるのに腹が立つなら
私自身が人にべったりと甘えることを許していないってこと
甘えるのは悪いことだと判断し 裁いているということ

自己中心で我が儘なのに腹が立つなら
私自身が自分を最優先に考えることを許していないということ
我が儘な振る舞いは悪だと 決めつけているということ


これが本当の「鏡の法則」だった
理解する土壌が汚れていると 本質まるごとを歪めて受け取ってしまう

自分の負の側面にフォーカスしてそこへ向かい合うことを許していない
半分ある負の側面を見ないようにしていたら 許すこともできない
何もかもが自分を否定するというベクトルへと向かってしまう

否定しているのは目の前の人でなく 自分自身

 

癒やされていないことは汚れたままだということ
淀んだままだということ

美しい水に身を晒し 静かな流れに身を清める
時の流れというものを 初めて美しいと感じた