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アクセスの多い記事

何気なくブログのアクセス解析を見ると、1日だけ飛び抜けてアクセスの多い日がある。グラフの中に一本だけ突出した線。普段の100倍以上もアクセスがあるので、驚いて画面を二度見した。どの記事だろうと見てみると、アクセスの多かった理由がわかった。

その記事には、私が真剣に書いた内容をおちょくるような、ふざけたコメントが付いていた。コメントはカラフルな絵文字に溢れ、画面からこぼれ落ちそうに騒々しかった。そのコメントを面白がって、続けて似たようなコメントがいくつも付けられていた。殆どは記事の内容を小馬鹿にして嗤うためのものだった。

沢山のアクセスを集めたのは私の記事ではなく、ふざけたコメントの方だった。あまりのくだらなさに、もはや笑うしかなかった。世の中の人々の感覚がますますわからなくなり、世の中のくだらなさに、もはや笑うこともできなかった。

 

絡まり合う蔓

とある外国人の男性と出会う。お互いに、相手の国の言葉は片言しかわからない。通常なら身振り手振りでなんとか意思疎通しようと張り切ったり、なんらかの意図がそこに働くはずの状況で、不思議なほど思考は静かだった。私は何も働きかけず、ただ受容していた。

すると、ほんの片言の言葉から、発芽し、蔓が伸び、大空に緑の葉がみるみる繁っていくかのように、意味を超えた、形のない「念」のようなものが育っていき、それが相手の男性と繋がっていくのを確かに感じた。私たちの間に生じた蔓は絡まり合い、美しい曲線と曲線が手に手をとってワルツでも踊っているかに感じられた。
日常の手垢にまみれ、中身を失って骸と化した「言葉」が介在すれば、決してそのような芽は出ることがないとわかっていた。言葉が封印されたからこそ、この植物的な何かが介在してくれたのだということも。

双方の国の言葉がわかる人が通訳の役目を買って出てくれたけれど、その年配の紳士はすでに必要がなくなり、役目を終えていた。そしてそのことに満足しているように、目尻に皺を寄せ、柔らかく微笑んでいる。

外国人男性は、私の住む家のすぐそばの、小高い丘の上、木々が鬱蒼と生い茂る中に静かに佇む洋館に住んでいることがわかった。蔓から伝わってくるパルスでわかるのだ。その丘の入り口にある寂びれた公園で、幼い頃によくブランコに乗ったものだった。あの丘の上に瀟洒な洋館が建つことも、そこに彼が住んでいることも、こんなに近くにいるというのに全く知らなかったことに、ひどく驚いていた。

 

恐怖とは愛そのもの

未来をイメージすると不安ばかりが膨らむという時
「不安」という私ではないものにアクセスしているだけ
不安という集合意識に波長を合わせているだけ

切り離せばいい
どんな状況にあろうと変わることのない
しずかな歓びだけが私のもの

偏って 歪んだ見方をしていた
二元性の片側の価値だけを見つめていたから
苦しみが生まれた

その余韻が 未だ身体に残っていても
戦わなければ いつか自然に消える

無くそうと意図するから それは無くならない
あったままでいい
むしろあってくれることに感謝する
そうすれば 今すぐに心の安寧は訪れる

外出するのがつらい 人と接するのが怖い
そういう自分を 強く否定して
治さなければいけないと思っていたからこそ
治ることなどありえなかった

心の病を得たことも 病によって守られていたということ
怖いという感情は 自分を守ろうとする感情
その恐怖という集合意識は
私を守るために働いてくれていた

恐怖は 自分を愛していることの証明だった
私はこんなにも深く 私を愛していた
私は こんなにも愛に満ち溢れた存在だった

 

受胎告知

受胎告知をテーマにした絵画を解説するウェブページを作っている。見覚えのない真新しいモニターの前で、レイアウトを考え、どこに絵を配置するか、どう文章化するか、見出しの文句は何にするかなどを考えつつ、淡々と仕事をする。

そこに自分自身の想いは欠片も含まれていない。情報が私を素通りし、私はケーブルか何かとなってデータを受け渡しするだけの存在だった。そしてそのことは私にとってとても自然で、深く受容していた。何のために、誰のために、受胎告知の絵画を紹介しているのか、何の疑問も懐いていない。そのことが不思議なくらいだった。

一つの宗教的な重要テーマが、あらゆるバリエーションに分岐して、無数の形態に分裂していく。繰り返し、繰り返し、同じリフレインが戻されてくる。永遠にこの作業を続けても、きっと終わりはないのだと悟っていた。そのことに、何の感慨も持たなかった。