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Dépôt de Météorites

演技派女優

ドラマのセットは、ちょっとしたアスレチックか何かのようで、一軒の家の内部に、緩い螺旋を描く滑り台のようなものがあったり、ボルダリングの壁のようなものがあったり、複雑に込み入って、目眩がするほど派手な原色が散りばめられた内装となっていた。
私は端役で出演する。老婆の特殊メイクをしていた。

二階の畳の間から、曲がりくねった滑り台の隙間を通して、一階を見下ろしている。一階では主要キャストが撮影をしていた。それを見ているうち、自分がただの観客だったことを、不意に思い出す。こんな場所に居てはいけなかったことに気づき、二階の窓からそっと逃げ出そうと企む。

窓の外には出番待ちの端役の俳優たちがたくさんいて、背中を丸めて膝を抱く形で座り込んでいた。上から見ると黒い団子が行儀よく並んで焼かれているいるように見えた。容赦ない日差しが降り注ぎ、照り返しが網膜を焼く。私は団子のひとつに声をかけ、手を差し出す。
窓から外へと降りるのに、手を取って支えてほしいという意味だったのだが、彼はその意味がわからず、口を開けてポカンとしていた。彼の顔をよく見ると、どこかで見たことのあるような顔だ。何かのドラマで見たのだろうと思ったけれど、思い出せなかった。
彼はようやく私の手を取ってくれたので、見知った顔だったせいもあり安心して身を委ね、彼の手に体重をかけたけれど、彼は突然その手から力を抜いた。私は支えを失って崩れ落ちた。

いつも要となるような配役を演じる中年の助演女優が近づいてきて、私を見ている。彼女はその演技力を絶賛されていて、俳優の端くれなら誰もが憧れるような、頂点に立つ存在だということは良く知っていた。
あら、あなたここで何をしてるの? 女優は、老婆の格好をしたままの私の顔をしげしげと見て、口角を半分上げながら、不思議そうな顔をした。たった今撮ったばかりの第○話にあなた出ていたじゃない。とてもいい芝居をしていたわよね?

誰かと勘違いされているのか、いつの間にかもうひとりの私がドラマに出演していたのか。全く関与しない場所で世界は刻々と進んでいて、その流れに取り残された私は、ポカンと口を開け、不思議そうな顔を返すしかなかった。

素顔を完全に隠し、老婆のメイクをした自分が称賛されるということが、しかも実力ある女優に認められたということが、こそばゆく、嬉しい気がした半面で、自分の素のままの容姿を全否定されたような気がして、なぜだかひどく苦々しい。

 

過去へと向かう列車

『ペパーミント・キャンディ』 1999年のイ・チャンドン監督作品を観た。

人生に失敗した男が、思い出の場所へ帰ってくる。同窓会に現れた彼は、妙なハイテンションで騒ぎまくり、旧友たちに呆れられる。気がつけば彼はひとり陸橋に登り、線路の上で列車の到来を待っていた──。
強烈な自死のシーンから物語は始まり、彼の人生の時を数年ずつ遡る形で、物語は過去へ向かって進んでいく。彼がなぜこのような最期を選ぶことになったのかが、少しずつ紐解かれていく。

初恋の人が探していると聞かされ、彼は病院に駆けつける。昨夜まで話ができたという彼女は、すでに意識を失って昏睡状態だった。彼女の夫は初恋の人にひと目会いたいという妻の願いをかなえるため、屈辱的ともいえる役回りに耐えて初恋の男を探し出し、妻に引き合わせるほど善良な人。
彼がなぜ初恋の彼女と別れることになったのか、なぜ警察官になり、残酷な取り調べを平気で行うような、感情の鈍麻した人間に成り下がっていったのか。時を遡るごとに手持ちのカードが増えていく。最終的に、彼女との出会いのシーンまで遡り、そこですべてのカードが揃う仕掛けとなっている。

主演のソル・ギョングの圧倒的な演技力にひれ伏した。時間軸を逆走して、若返っていく主人公を見事に時系列で演じ分けていて、若い頃のナイーヴだった主人公が軍隊に適応できない様子など、本当に自然でリアルだったし、実際に若い青年に見えてしまうのが凄い。ちょっとした表情、仕草、所作などが完全に若者のそれで、不自然さがまったくなかった。発砲してしまい、状況を受け入れられず幼子のように泣き喚くシーンは、息を呑んだ。

汚れてしまった自分は、清らかなあの人にふさわしくない。彼女を突き放すための、魂と反対方向を向いた物理的な力が、彼の人生すべてに作用し続けたように思える。自分を汚し続ける方向付けがなされてしまって以来、それを変えることなど決してできなくなった。彼女への想いや憧れが何より美しく、純粋だったからこそ、それを拒むためのエネルギーも同じだけ強力でなければならず、人生を支配してしまった──。

彼が命を絶った陸橋は、彼女との美しい思い出の場所だった。
彼女との出会いまで遡った後、最終的にどうやってこの物語にケリを付けるのだろう…と思いながら観ていた。その締め括り方はとても粋で、これは一本取られたなという感じ。
未来の記憶。時間はメビウスの輪。最後のシーンの表情と涙が素晴らしかった。ひどく悲しいのにそれ以上に美しい余韻が、胸に響き続ける。

 

優先順位

自分に愛を捧げるのも世界に愛を捧げるのも
本質的に同じこと
ならまず世界に捧げてみれば 自意識から離れやすくなる?
世界を優先して自分をないがしろにしてしまう?
やはり自分が先のほうがいいの?
これに答えはないのかもしれない

世界を愛せないほど傷ついているなら
自分を愛するのが優先
自意識に囚われがちで競争意識に苦しむときは
世界を愛するのが先

 

集合的無意識の視点

自分が変われば周りも変わる。周囲の人は自分の鏡だ……という、よく精神世界の教科書などで言われていることがどうしても納得できなかった。
実践する努力をしても全く現実は動かないし、苛々して余計ストレスが溜まって爆発していた。これに関しては本当に本当に長い間苦しんできた。
視点が足りなかったんだ。集合的無意識の視点が。

憎たらしい人に優しくしようなんて努力したってできない。できなくても当然。
集合無意識とのつながりを変えて、憎たらしい人にどう対応するかということ以前に、自分が愛に満ちて、世界に愛を捧げるような在り方でいること。
自分が変われば、ということの本当の意味はそれだったんだ。
変えなければいけないのは他人への対応でなく、自分と集合無意識との関係なんだ、

いい波動を持つ人に会え、成功した人に会えっていうものそれだ。無意識に影響されている波動を書き換えるために一番手っ取り早い方法だからだ。
こんな単純なことが、今までわからなかったなんて。

 

ミッシングレター

音楽室で、多くの児童と一緒に歌を歌っている。小学校の音楽の時間らしい。アルファベットの歌を歌っていたので、英語の時間だったのかもしれない。ABCDEFG〜と歌おうとするのだけれど、その続きが所々どうしても思い出せない。記憶が部分的に黒塗りされてしまったようで、何度スキャンしても反応がない。所々が破損したタイプライターのように、特定の文字だけが消えてしまった。焦りと苛立ちが胸に詰まって、息苦しい。

隣の席の女の子に、アルファベットが思い出せないことを打ち明ける。その子は一瞬目を丸くして固まった。その後、あからさまな侮蔑の表情へと、見事なまでの変貌を遂げた。アルファベットも分かんないの? それマジでヤバイから。頭おかしいんじゃない?
信頼していた友達の豹変ぶりに、言葉を失う。数分の間、怒りがふつふつと湧いてきては、身体の深部に溜まり続ける。

突然壊れたように、私は教科書をビリビリと引き裂いて床に放り出した。周りはしんと静まりかえり、全員が見て見ぬふりを決め込む。優しい物腰の女性教師が、長い髪を揺らしながらそっと近づいてきた。修道女のような微笑みで、先生は私の肩を抱き、廊下へと連れ出した。厄介者を扱うのには手慣れている、そんな体で。こなれた笑顔で、厄介者のレッテルを貼られるのは大変な屈辱。その不快をたっぷりと味わい終えると、教室のドアはガラガラと無神経な音を立て、閉ざされた後だった。

夢うつつの状態で、アルファベットの歌をもう一度頭の中で歌ってみた。何度歌っても、OPQRST…の次が思い出せない。VWXYZで終わるのは分かっている。様々な英単語を思い浮かべ、思い出せない一文字が何なのか探してみて、ようやく気づいた。Uの文字が思い出せなかったことに。
それに気づく頃には、完全に目が覚めていた。