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Dépôt de Météorites

接写

私はその人の顔が見られない。恥ずかしいからか、怖いからか、愛しすぎるからなのか、解らない。目を背け、逃げ続けているのに、そうすればするほど彼の顔が明確に瞼に映り始める。マクロレンズで接写するように、目元の皺の一本一本、鼻筋や小鼻の形、笑うと密やかに動く口元の皮膚、それらを拡大して観察するように、ひとつひとつが意識に深く刻まれていく。

何百枚、何千枚の記録写真を連写し、全てが私の体のどこかに格納されていく。そのファイルの在処は、頭脳ではなく、どこか体の奥深く、自分でも把握できない黒い黒い小宇宙の中。

 

脳内ハッキング

職場に持ち込んだぬいぐるみや人形が幾つか。自分の癒やしのために並べていたその子達をじっと見つめていると、昼間の何時間しか一緒にいないのに、彼らに苦痛を強いているような気分になってくる。家に連れて帰ることを決め、大きめのトートバッグに彼らを入れ、駅へと向かう。バッグにはジッパーがなく、上から見るとぬいぐるみの頭が見えている。それを隠すため、脇に抱え込み背を丸める。

ホームはガラガラで、まだ電車の来る時間には遠い。先頭車両の止まる位置だけ人が多く、行列が出来始めている。そうだ、到着したあと先頭車両が一番改札に近いんだった。何十年ぶりに電車に乗るように、記憶の奥底から泥だらけの古い鍵を掴み上げるように、そのことを緩やかに思い出す。

電車に乗り込むと、一斉に椅子取りゲームのように人々が座席目指して突進する。狹い空席にお尻をねじ込もうとする。隣に座ろうとした女性とほぼ同時で、どちらも譲らず、窮屈に肩をぶつけ合って座ることになる。私はバッグの中が見えるのを危惧し、それを抱えて前かがみになる。

「かわいそうに、その子達が窮屈だと言ってるわよ」意識の中に声が響いた。隣の女性が発しているものと気づく。「何を恥ずかしがってるのかしら、馬鹿みたいに」私は彼女の頭の中をハッキングしているのだろうか? 次々に隣の女性の考えていることが意識に流れ込んでくる。私はより頑なにバッグを強く抱え込み、耳を塞ぐことも出来ず、やり過ごすしかない。

自宅マンションに向かうと、隣の女性がついてくる。マンションは鉄骨が剥き出しで、まるでステンレスラックに四角い石鹸が並んで乗せられているように、ひとつひとつの部屋が独立して鉄骨の上に並んでいる。知らないうちにこんな形状に建て替えられてしまったのかと驚く。
女性はマンションの管理人らしい人に声をかけ、親しげに談笑を始める。その様を横目で見ているうち、彼女の発する声が意識の中に聞こえた声と全く同じと気づく。もしかして、彼女は実際に声を出して、私に話しかけていたのでは? 私はそれを頭の中だけに響く声と思い込み、完全に無視してしまったのでは? 疑いが次第に膨れ上がってくる。

 

保護猫の眼差し

隣接するI市の警察署に猫が沢山保護されていて、引き取り手を探しているというのを聞いて、母と一緒に見に行ったことがあった。詳しくは知らないけれど、どこかの動物病院の前に10匹以上の猫が捨てられていたらしい。子猫もいるということで、もし縁があれば引き取りたいと思っていた。シルくんが虹の橋を渡って半年ほどで、その空白が埋め難く、次の子を迎え入れたいという気持ちも強かったけれど、その反面、悲し過ぎる別れを体験したあとで、命をまた預かるということの重さに脚が震えてなかなか進めないという感覚もあった。

警察署の裏口へと案内され、その外にケージに入った猫たちがいた。子猫はすぐに引取先が決まったそうで、もう一匹もいなかった。大人の、警戒心に満ちた目の猫たちだけが残されていた。見つめると隅に固まってしまう猫、威嚇するのも疲れたように睨みつけるような眼差しを返す猫。子猫のうちから育てたいという気持ちで会いに行ったので、少しがっかりし、当初の予定のとおりにしようと大人の猫を引き取ることは考えずに、その場をあとにした。

なんとも後味の悪い罪悪感に似た気持ちが、胸の中に長く滞留した。あの猫たちは引き取り手が決まらなかったらどうなるんだろう。私はあの子達を見殺しにしてしまったのかもしれない。後々、すべての猫が貰われていったということを知り、安堵に胸を撫で下ろしたけれど、それでも苦々しい気持ちは消えなかった。選り好みをした自分の欲に対して。そしてその我欲に気づいても、行動を変えなかった傲慢に対して。

その後も、母が友人達に子猫を飼いたいと話していたら、その人脈で子猫を譲ってくれるという人が見つかったと連絡が来た。母がそんな話を進めていたことを私は全く知らなかったので、いざとなったら足が竦んで恐怖に固まってしまった。いつの間にか、子猫を新しく受け入れることが「恐怖」になってしまっていたことに愕然とした。

失ったシルくんに対しての愛が高まれば高まるほど、飼い主としての自分の至らなかったところばかりが鮮やかに浮き彫りになる。自分に動物と暮らしていく資格があるのだろうかと自責の念が膨れ上がり、それが自分へ向けての凶器となる。
恐怖に打ち勝てず、私はその話を断ってしまい、母の面目も潰す形になった。子猫は別の飼い主が無事見つかったそうで、やはり同じように、後になって胸を撫で下ろした。

保護犬や保護猫のボランティアの話など、美談を耳にすると、この時のことが胸にチクチクと突き刺さって思い出される。私は猫たちの幸せを想うよりも、自分の欲に負け、自分の恐れに負け、逃げ続けた。

この罪悪感をどう扱ったらいいかわからず、自分と対話した。可笑しいけれど、ぬいぐるみを抱き、その目を見つめながら、ぬいぐるみが私に話しかけてくれる言葉を心のなかで聞いた。パンダのおっくんは私に言った。
マミーは猫に悪いことをしたと後悔してるの? ちげーよ、猫の方でマミーなんかお断りだと言ってたんだよ。そんなこともわからないなんて、バカなの?
生意気なパンダはそう返してきた。
そっか。あの子達にはもっと素敵な飼い主さんが現れることになっていたから、私は気が進まなかったんだ。そう思うと、一気に心が解けていった。

 

愛する人の中で生きる

ネルが虹の橋を渡ったその晩、寝付けずにぼんやりとしていた時、啓示のようにメッセージを受け取った。ネルが言っていた。わたしはこれからマミーの体の中に入って、マミーの人生を一緒に生きるんだよ。いつも一緒にいるんだよ。

テレビをつけたままにしていたら、たまたまやっていたドラマで同じような台詞があった。人は死んだら、愛していた人の体の中に入っていって、その人の人生を一緒に生きるんだと。その人が死んだら、また別の誰かの中に入っていく。だから、ずっと誰かの中に生き続けると。

ネルちゃんもシルくんも、私の中に今も一緒に存在している。彼らの魂は、魂の世界に帰っていっただろうけれど、その一部が私の中に残って、私の人生を体験している。

愛する存在が次々にいなくなって、寂しくなったようでも、私の中はだんだん濃密になって豊かになっている。
たくさんの愛する存在が入り込んで、体という器が窮屈になってきた時、人は魂の世界に帰ろうとするのかもしれない。なんて豊かなことだろう。

 

正しい祈り方

何キロ痩せたい何センチになりたいと
頑張ってもそうなれなかった
諦めて野放図にするのではなく
手放して
一番美しい私になれますように
そう考えるようにした
結果今でも理想とした体型を保てている

思考が作る具体的な願いは
魂が本当に望むものと異なるかもしれない
叶う頃には違うことを望んでいたりする
時とともに移ろう願いなんかどうでもいい
もっと本質的な願い
永遠に通用する願い

あらゆる可能性の中でいちばん幸せな私になります
最も楽しい人生を送ります