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跡目争い

ゴッドファーザーみたいな映画を見ている。あるいは本当にその世界を生きている。どちらかわからない。
私はマフィアのような悪い組織の、ボスの三男だった。長男は、勢いばかりで実の伴わない、思慮に欠ける人物。次男は、臆病で無責任。三男の私は、一見善良でマフィア一家にそぐわないような好青年だけれど、一皮剥けばとても腹黒い。将来の跡目争いに向けて、十分な下準備をしている。長男と次男の側近は私が送り込んだスパイだったし、あらゆる情報は筒抜けだった。組織には全く興味がなく、跡を継ぐ意志など露程もないと周囲に信じ込ませることにも成功している。父の信頼も得ているが、万が一のときには、兄二人を抹殺してでもすべてを手にする決意は固まっているし、それも計画に組み込まれている。

何もかもうまく行き過ぎて、入念な計画などはじめから必要でなく、ただ黙っていても後継者の座は転がり込んできた気がする。知略を無駄遣いしたようで、すべてが無駄な努力だったかのようで、悔しいような、物悲しいような気分。手に入るとわかった途端に、その宝はにわかに輝きを失う。ボスの座についたところで、どれほど満たされるものだろうかと疑い始めている。

ドアノブが無い

部屋に入ろうとすると、ドアノブが無くなっている。ノブが嵌っていたはずの穴は、茶色い紙製のガムテープで塞がれていた。ガムテープはドアと壁を密封するように何重にも貼られていて、そのしつこいやり方から、父の仕業だとすぐに分かる。

何故こんなことをしたのか、父を問い詰める。日用品を買いだめしたものや様々な道具が仕舞われているその部屋に入れなければ、日々の生活に差し障るというのに、父はいつもの独善的な口調で私を見下すように言う。ドアノブが廊下に出っ張っていて危険だ。これで俺が怪我をしたらどうするんだ。今までドアノブが邪魔だったことなど一度もなく、何の問題もなかったのに、問題のないところに問題を作り出す天才だ。

とにかくガムテープを剥がすように要請する。父はいつもと同じく、俺のやり方に文句をつけるなと怒り出し、嫌ならドアごと外してしまえと言い放った。怒りが張り詰めた神経をプツッとちぎった音がしたような気がした。満潮時に、押し寄せた潮がみるみるうちに陸地を覆い尽くすような感覚。思考は凪いでいて、怖いほどに穏やかだった。私はガムテープを剥がし取り、穢れたものを吐き捨てるように放り投げた。テープの残骸は死んだ蛇のように丸く絡まり合っていた。そしてそのドアを外し、両腕で振り上げると、父を目掛けて何度も何度も振り下ろした。
父はペラペラの紙のように薄くぺしゃんこになって、ひらりと風に舞った。


この夢を母に話すと、父がいかにもやりそうなことだと大爆笑。ぺしゃんこに潰れてしまう以外は現実そのものといった内容。

抵抗感を愛する

嫌なこと望まないことが起こっても それは私が生み出している
嫌だと思う現実こそ大事なこと そこに鍵がある
だから嫌だと思うことは必然で
抵抗せず受け取ることが難しいのは当然のこと

抵抗感が出ても 嫌でたまらなく思っても
それこそが必要な感情だと知っていればいい
何一つ間違ったことは起きていないし
何一つ間違った反応をしたわけでもない

抵抗感があるのに 私は抵抗などしていないと思い込む
嫌なことを嫌だと思うことも許さず 自分に強要する その方が間違い

抵抗感を受け入れると言ってもわかりにくい
その抵抗感を愛する 在っていいものとする 
愛するためには抵抗感自体が無くなってしまっては困る
在っていいんだ

落ち込む感情も同じこと
その感情を愛するために 落ち込む現実が何度でも立ち現れる
憂鬱も絶望も 私に愛してほしいからやってくるんだ

そうしてすべてを愛せるようになったら 恐れるものなど何もない
私の世界には 愛しかなくなる

えのき茸が生える

髪をヘアウォーターで少し濡らして、ブラシをかけている。後頭部のやや左のあたり、髪の感触がぬるっとして、べたっとして、束感がある。なんだろうと思ってよく触ってみると、その部分だけ、髪の毛ではなくえのき茸が生えていた。ロングの髪に混じって違和感のないほど長いえのき茸。引っ張って抜いてしまおうとしてもなかなか抜けない。抜いたら円形脱毛症のようになってしまいそうだし、鏡で見ると、白いえのき茸なのに何故か、思ったより目立っていない。こういうメッシュもありだろうとそのままブラシをかけて馴染ませた。

普段よりすっきりと額を全開にしてみる。悪くないかなと思う。えのき茸さえ受け入れられるのだから、大抵の問題も受け入れ、受け流せる。ゆたかな気分になって、自分がどれほど醜くても大丈夫だし、何もかもこれで大丈夫なんだという気がした。

許すことが最大の罰

人生の中で どんな愚かな誤ちを犯したとしても
決して許されない罪を犯したとしても
自分を許し 自分に許されるしか 進む道はない

いくら自分を罰しても どこへも辿り着けず 何も得られはしない
罰することは 罪悪感からの一時的な逃避でしかない

ほんとうに罰したいなら 許すという道へ進むことだ
それがより困難な道だから
罪からも罰からも解き放たれ 自由になるということが