SITE MÉTÉORIQUE

Dépôt de Météorites

スピリチュアルマガジン

届いたメールマガジンにこんな内容が書かれていた。
……◯◯さんがずっと畏れてきた存在が、光の橋を越えて、体を脱ぎ棄てていかれました。(確かにこの「畏」れるという字が使われていて、それが妙に引っかかった)
◯◯さんは、虚脱感と開放感、そして喪失感に翻弄され、一気に訪れた感情の大波にご自分を見失っていらっしゃいます。

その存在は肉体を離れ、もう二度と手の届かない別の世界へと旅立ってしまったように感じているでしょう。死後の世界のような、自分も死んだら同じ場所に行けるという期待の持てる場所ではなく、本当に永久の別れとなる、どこかまったく違う位相にある場所へと旅立ったのだと。

しかし、あなたが畏れ、崇めてきたその存在は、今もあなたと伴に在ります。なぜなら、その存在は、あなた自身になったからです。あなたの中に取り込まれ、あなたの中に還っていったのです。

雨音の独白

インクの切れた万年筆で
手紙をしたためました
埃を被った灯りの下で
ぼんやりと太陽の亡霊が揺れました
ペンのキャップを閉めたなら
明日のスープを煮つめるのです
錆を落とすために
握りしめた右手が痺れます
長い長い晩春の雨
流れる雫を数えます
喉に絡みつく飽和した蒸気に
うっかり呼吸を忘れてしまうのです

百日紅の根元に埋めた
あの結晶が見つかりません
幾重もの薄い皮を剥いたなら
葡萄の一粒のように瑞々しく
あなたとわたしの舌を痺れさせる
あの結晶のことです
お利口な大地が代謝したあの宝石は
いったい何に生まれ代わったのでしょうか
明日の朝が来たならば
瑠璃色の蝶に尋ねましょうか

燥き切った唇を潤す
涙はもう零れることがありません
それは正しいことなのですか
わたしはまた流されて
鼓動が刻み込む楔形の傷が
明日もまた一つ描き足されるでしょう
遠く旅立った片側の瞳だけが
この肌の上の絵画を鳥瞰するのです
腐りかけた花弁は散り
脈打つ手首の上で
豪奢なアクセサリーと化すのです

 

生命のスパーク

『タイタニック』 誰もが知る言わずもがなの超大作。地上波で放映していたので観た。たしか公開後しばらくした頃に一度観たきりで、細かいところは殆ど忘れていた。

彼は彼女に言う。君は何人も子供を生んだ後、この冷たい海ではなく、温かいベッドて最期を迎えるのだと。それを約束してくれと。彼女は息絶えた彼の手を離し、氷の海に沈みゆくのを見届け、救助の手を求める。二人分の生命力が宿ったかのような、噴火口からほとばしる光のスパークが、重く立ち籠める闇を切り裂く。

二十年も前に見たときには、彼女に漲るちからに素直な共感ができなかったのを思い出した。
生きるって素晴らしいね、という、いかにも安っぽい感動として消費されていくのがつまらないなと思ったのと、自分だったら彼女と同じ選択ができるほど強くはないだろうと感じたのと、そんな理由からかもしれない。
自分だったら、約束を破る事になっても、手を離すことは出来なかったんじゃないか。
そんな劣等感と、それを正当化するさまざまな言い訳と。

命の粗雑で荒々しいエネルギー、一見無秩序であるかのようで、実に巧妙に私たちをあるべき場所へと還流してしまう、どこか狡猾にさえ見えるあの熱いエネルギーが、とても嫌いだった。

彼女は、自分に新しい人生をくれた彼との約束を破ることが出来なかった。自分で選択し掴み取ることのできるものであり、どんな理由があれ囚われているのはただ自分自身だけだということ。与えてくれたその宝物をむざむざと捨てることは、彼の愛を裏切ることだったから。それを以前よりは「体感」できるようになったと感じた。

私は長い年月を経て、少しは「いのち」と仲良くなれてきたのだろうか?
自分のいのちを愛することができるようになってきたのだろうか? ……等と考えたりした。

目に見えない爆弾

数分後に、原子爆弾が落ちることがわかっていた。
私たちはできるだけ頑丈なビルに駆け込んで、じっと息を潜める。眼の潰れるような閃光、耳をつんざく轟音、そういったものを想像していたけれど、具体的な光や音は、何も検知されなかった。目に映る世界は何の変化も起きたように見えない、しかし現実に原子爆弾は落とされ、私たちの世界の何らかのシステムが崩壊したことは確かだった。なぜそうなのかはわからないけれど、そう確信している。

人々は誰もが戸惑い、おろおろと慌てふためきながら、周りの人間がどう出るかを横目で観察している。皆が自分の行く末を、自分の責任で判断しなければならない。なのにその責任は重すぎるので、誰もが誰もに寄りかかっている。
世界は白く、光に満ちていたけれど、どこかが不自然で人工的な光に感じられる。その感覚には理由がない。眩しくて、眼底に微かな痺れを感じる。

私は、友人三人と行動を共にしている。そのうち二人が、ビルの外の様子を恐る恐る見て、このビルから出た方がいいと言う。もう一人は足が竦んで、今の場所から動けそうにないと言う。どうするか迷う。そうこうしているうちに二人は、私たちを置いてビルの外へと駆け出していった。

外の広場では、自治体の職員だろうか、人々の混乱を鎮め、秩序を取り戻そうとするスタッフがあれこれと指示を出している。人々は整列させられ、隊列を組んでどこかへと連れて行かれる。
先に出ていった二人は、既にその隊列に飲み込まれた。私と臆病な友人も、顔を見合わせると全力で駆け出す。なんとか列の最後尾に間に合うが、スタッフの機械的な声が響く。列は二列で!偶数人しか受け入れません!
最後尾の隊列が乱れていたので、偶数か奇数か一見してわからない。はみ出してしまったら、私か彼女のどちらかは置いて行かれる。恐怖に震えたけれど、とにかくついて行ってしまえば、隊列の一員であることは既成事実化され、なんとかなるだろう。その時ばかりは妙に小狡くなって、悪事をひた隠しにするかのような澄ました顔で、隊列について行った。

そして、澄ました顔のまま、私たちは悪事を働くことになった。この隊列に含まれた人々は、擦れ違う誰かからすった財布を、次々にリレーしていくという仕事をさせられることになった。一人が財布をすると、別の隊員に投げる。その隊員はまた別の隊員に投げる。センターからショートを中継してキャッチャーが受け取るような格好。財布は豪速球となり空を飛ぶ。

この隊列について行って良かったのかどうか、今となっては何もわからない。私たちは考えるという機能を失い、善悪の概念からも完全に自由になった。財布を投げるのがただ楽しくて、どこまでも純粋な歓びに溶けていく。

 

足りないものを数える悪癖

常に100点から引き算をしていた
98点でも なぜあと2点が取れなかったのだと強く叱責された
子供の頃の記憶がまだ 私の中では生き続けていて

何ができるようになったかではなく
何がまだできないでいるかを常に考えてしまう癖

完璧になるために何が足りないか
完全であるためにどうしなければいけないか
その隙間を必死で埋めるだけの人生
それは完璧には程遠い

邪魔なものを減らしていく人生と
素敵なものが増えていく人生と
起きていることは全く同じでも
二種類の人生がある