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赤い夢

憶えているいちばん古い夢はなんだろうと考えてみると、小学三年のときに見た、血尿が出る夢に思い当たる。
いつものように用を足すと、白い便器の中が真っ赤に染まっている。その赤い色があまりにも濃度が高く鮮やかで、見つめているとそのなかに眩暈とともに吸い込まれていくような、プラックホールのような不気味な引力があった。体中の血液が流れ出てしまったんじゃないかと、恐ろしくなった。境界を超えて世界に溢れ出た私の血液が、レバーを倒すと、耳に慣れ親しんだいつもの音とともに、下水へと消えていく。


ただそれだけの夢だったけれど、その鮮やか過ぎる赤は、瞼の裏から消えることがなかった。赤い色をしたものがすべて恐ろしく思え、触れることができなくなった。当時まだランドセルを背負っていて、それをきっかけに別のバックに変えた。体が大きくなってきたことを言い訳にしたけれど、本当は赤い色を背負うことが耐えられなかったから。
その後数年、赤いものを避け続けた。家にあった鉢植えのハイビスカスの花がとても恐ろしかったのをよく憶えている。花と見つめ合うことのないように、斜めに視線をそらして過ごした。
そのことは、母にも友達にも、誰にも話せなかった。赤い色が怖いなんて言っても、理解されないことはわかっていたから。だいじょうぶ、そのうち忘れてしまって、気にならなくなるよ。あっけらかんとそう返されるだろう。


感じなくなることが正しいのだと、自分を戒めた。実際に、感じなくなることに成功した。恐怖を幾重にも折りたたみ、無理に蓋をして、意識の底に埋めた。殺人犯が凶器を隠すかのように。
中学に入る頃には、赤い服を着ることもできるようになった。何も感じなくなるよう自分を制御できたことが誇らしいようでいて、どこか、錆びついた鉄を舌先で味わうような感覚が纏わり付いて、体を蝕んでいくような気もしていた。


いまでも赤い色に触れると神経がざわつくのは、よもやこの夢の影響ではないと思うけれど、いのちの猥雑で乱暴なちからを象る色のように思えて、やはりどこかで怖れに似たものを感じる。
その向こう側に、憧れに似た引力も、感じるようになった。こちらが精力に満ちていないと相対することのできない、容赦ないちから。

 

嗚咽

ベッドに横たわり、彼に背を向けて、泣いていた。泣くというよりも、何かが溢れてしまい吐き出すしかない。嗚咽というよりも、魂が作動する機械音のようで、自分でも見知らぬ、どこか生命とは遠い場所で歯車が軋むような音だった。彼が戸惑っているのはわかっていたけれど、小さな配慮は濁流に飲まれ、すぐに姿を消した。


彼の愛の言葉も、憂いの言葉も、いつも私ではない誰かに向かって投げかけられているのだと、私は知っていた。自分を傷つけるその思いをどうしても信じたくなかったが故に、何度でもそれに刃向かって、剣を振り回しているうちに自分の肉を切り刻んだ。自分の疑心と闘って、敗北した。そうして、信じたくない真実がまことのものとなった。彼が愛しているのは私ではないという真実が、私の手によって生み出された。


その過去が、時の河をくだり、今大海に出ようとしている。苦しみを手放すとき、果てしなく愛おしくなる。私は苦しみを深く愛していたということに気づき、哀しくてたまらない。


自ら刺したとしてもその剣は、たしかに魂を貫いて、おびただしい量の血が流れたことは事実だった。その痛みも決して虚構ではなかった。それをただ分かってほしかった。
言葉という、曖昧に点滅する暗号のようなツールには、世界との接点がない。あったとしても、蜘蛛の糸のようなたった一本の細い可能性。私はそれを信頼してはいなかった。同時に、そこにぶら下がって、糸を切ってしまうことを恐れてもいた。
背中に彼の気配を感じていた。振り向くことができない。涙と鼻水で汚された顔を向けたくなかった。この嗚咽だけが、彼の魂に響き、総てを刻みつけてくれることを切望した。

 

理科教師

朝七時過ぎに起きなければならない。でも起きられない。七時半くらいから放映されるドラマがあり、俳優Cが主演している。私はそれを見たかった。起きなければと思っているうち数十分眠ってしまい、気づくと八時過ぎだった。重い体を引き摺って起き出す。ドラマは大半が終わってしまっていた。朝食に、昨日の残り物のおかずと、カロリーメイトが置かれている。おかずに手を付ける気にならず、冷蔵庫にしまった。


俳優Cは教師で、権力と結託した悪徳教頭と闘う。Cの仲間の教師は三人で、その一人が私だった。理科室で、Cと私は教頭と対峙した。教頭は私を惑わし、金品で釣ろうとする。理科室にはドラッグストアのように一面に商品が並んでいて、この全てを好きに使っていいと言う。さらに、開発されたばかりの未発売の入浴剤を特別に分けてやると言う。入浴剤は青っぽい瓶に取り分けられた液体で、蓋を開けると白い煙がたなびいた。


Cはそれを引ったくって、流しに置かれたたらいに水を溜め、そのなかに注ぎ込んだ。ぶくぶくと妖しげな音を立てて白い泡が立った。泡はみるみる膨張し、原爆のキノコ雲のような不穏な形状となった。その泡の色は不自然なほど漂白された、目に痛いほどの、白すぎる白だった。この入浴剤をもし使ったら、体中の皮膚がただれて死に至っただろうと、理科教師のCは言い放った。私は彼を心から尊敬し、尊敬が愛に変わっていく一瞬ごとを、連写するように克明に味わっていた。

 

ケーブルカー乗り場

枯れた芝生のような、踏みしだかれた草に覆われた空き地が続いていた。片側は崖、片側は民家が並んでいて、その隙間に細く続く空き地は、K貝塚へと続く(実在しない)抜け道だった。私は母と一緒にその抜け道を歩く。母は、若々しいワインレッドのダウンジャケットを着ていて、思いのほか似合っていた。乾いた草を踏みしめる音がざくざくと響き、辺りの静けさが貪欲に音を飲み込んでいった。崖の下には灰色の家並みが、可愛らしいおもちゃのように並んでいるのが一望できた。私たちは歩きながら、とりとめのない昔話をいくらでも続けることが出来た。


やがて枯れ草の道は終わり、その先は突然開けていて、見慣れない建物が立っている。その前の広場には、数百人の子供たちが集っていた。彼らがここで何をしているのか見当もつかない。子供たちは行列を作っていて、その先頭は見慣れない建物に飲み込まれる形だった。子供に特有の、乳くさいような甘い匂いが充満している。凶暴なほどに湧き立つ生命の匂い。
私たちは人気の無い所を歩くつもりだったので、マスクもしておらず、この密集した状態は好ましくなかった。綿の白い手袋(水仕事のときゴム手袋の下につけているもの)がポケットにあるのを見つけ、それを口にあてがった。そういえば、子供たちは一人もマスクをつけていない。子供が大勢いるにもかかわらず、広場はしんと静まり返っていて、音声を消した映像を見ているよう。
この行列が何なのかが気になり、建物の裏手に回ってみた。崖の下に向けて、ケーブルカーが数十メートルほどの距離を下っていくのが見える。ここはケーブルカーの乗り場だったのだ。こんなものがいつできたのだろう。


気づくと、母がいない。私は慌てて辺りを探し回った。青ざめた顔をしていたに違いない。母はどこかで倒れているのではないか? 子供たちを掻き分けて、寝そべる子供たちを飛び越えたりしながら、母を探して走り回った。疲れ果てた頃、広場の端に歩いてくる母の姿が見えた。ほっとすると同時に激しい憤りが湧いてきた。私は母の腕を掴むと、すぐにうちに帰ろう、と冷えた声で言った。母はその言葉を待っていたように笑った。そう言うと思ったから、先に車を回しておいたよ。ガソリンが空だったから、満タンにしてきたところだよ。
母は先回りして、私のためにガソリンを入れに行っていたのだと知り、それでも一言告げてから行ってくれたら余計な心配などしなくて済んだのに、という思いが心の中に吹き溜まり、行き場をなくした。

空飛ぶ自転車

私たちは、大きく弧を描く形に整列した。その三日月型のパズルが揃うための最後のピースとなったのは私で、そのために教師に目をつけられたのか、いちばんはじめに指名された。
北海道のような寒冷地で、イヤホンは機能を失うのかどうかと尋ねられた。私は答えた。自分のイヤホンではないけれど、友人のイヤホンが、実際に北海道のスキー場で凍りついて駄目になってしまったのを見たことがあります。一度凍ったものはもう使えないと思います。私のイヤホンは、黒いコードの部分が傷んで、中の銅線が見えてしまっている箇所があるのですが、ちゃんと音は聞こえるし、まだまだ使えそうです。


友人のイヤホンのくだりは真っ赤な嘘で、親しい友人は一人もいなかった。ただ優等生然とした受け答えを演じただけ。教師は期待した通りの返答に納得したような顔をして、ゆっくり頷いた。隣に立っていた男子学生たちが興味津々に話しかけてきた。雪山でも駄目にならなかったイヤホンって、どこの? 目を輝かせて彼らは訊く。ソニーの、と私は答える。やっぱりソニーはすげえな。ソニーのなんてやつ?〇〇? 私の知らない商品名を挙げて彼は訊いたけれど、私は小さく、知らない、とだけ言った。


私たちは雪山から都会へと帰る。自転車を漕いで、一定速度まで加速すると、自転車は離陸する。次々に空中へと飛び立つ自転車たち。空の上でペダルを漕ぐのはとても気持ちが良かった。鳥になって見下ろす世界は、ごみごみとして人間の生活臭があふれるものであったり、そのすぐとなりで神秘的なほどの自然の美が息づいていたり、全く秩序というものが感じられない。人間社会そのもののカオスが、溶岩のようにどろどろと対流しているようにも見えた。


Y市からC市の上空に入るとき、あちこちに「ここからC市」という看板が設置されているのに気づいた。幹線道路ではよくあるけれど、空飛ぶ自転車のために、空からよく見える位置にそんな案内が設置されているとは知らなかった。市の境界線は複雑な形状をしていたので、看板はいくつもの丘の上や林の木々の上に複雑に分布していて、目前に現れては消えていった。
周囲を見回すと、仲間たちが同じように空中を漕いでいる。三輪車のように小さいもの、セグウェイのようなもの、いろいろな乗り物が空を飛んでいた。やはり小さいものは漕ぎにくそうだった。私は自分に与えられた、鮮やかなスカイブルーの26インチくらいのごく普通の自転車に、とても満足していた。


私の青い自転車は空の青と同化し、空の一部に溶けてしまっても誰も気づかないような気がした。そうだったら良いのに。このままずっと空を飛んでいたかったけれど、もう私たちの校舎が見えてきた。砂埃が舞い、自転車が着陸する。その瞬間の衝撃は、この世にある典型的な苦しみを少しずつ掻き集めたビュッフェのような苦痛だということが、私にはわかっていた。痛みの瞬間に身構え、それがやってくる前から、舐めるように味わい尽くす。身体は硬く、心はもっと硬く。地面が近づいてくる。予測のとおりであり、予測を超えてもいる、その苦痛が体を貫いた。