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石読みのレッスン

かつてピアノを習っていたT先生のお宅。様々な天然石が飾られ、先生自身も大振りのネックレスをしている。くすんだ淡い緑の石と、茶色でもえんじでも紫でもない分類を拒むような曖昧な色の石とが、交互に並んでいるネックレス。その高潔な曖昧さを持つ石に心を奪われ、先生にその石の名を尋ねた。先生は石の名を答えたけれど、全く知らない名だったので記憶できなかった。この頃全然知らない石がたくさん出てきて、名前を覚えきれなくて……。私ははにかみながら話す。あらそう?実は私もそうなのよ。先生は乾いた声で笑った。

それでは始めましょうか。いつもレッスン開始の合図となる定型句が先生の口から溢れ、私はひとつの丸い石と向かい合う。手のひらに乗る大きさの丸玉は、細かい煤の粉のような黒をまぶした淡い灰色を基調とし、その中に白とオレンジが不規則に練り込まれているような色合いだった。不透明だと思っていたその石を食い入るように見つめているうち、徐々に半透明だったということに気づく。内部から微発光しているように中心部が明るくなり、透明度が増してくる。そして、その中にあるビジョンが見えてきた。

ビジョンは、古いアニメーションのように単純な描線で描かれた、荒い画質の映像だった。二人の男性──可愛らしい小人のような──がある店に入ってくる。二人は同じ宝石を欲しがった。ひとつしかない宝石を、片方の男が買っていく。もう片方はがっくりと肩を落とし溜息をつく。すると、宝石を買った男がガラガラと大きなショッピングカートを転がして戻ってくる。カートには先程買っていった宝石と同じケースが数百個積み上げられていた。君が譲ってくれたおかげで、商売に成功してこんなにたくさん宝石を手に入れることができたよ。男はそう言うと、カートから一つの箱を手に取り、もうひとりの男に手渡した。これは君の分だ。受け取ってほしい。

寓話のような説話のような、その短いストーリーを灰色の丸石の中に読み取った私は、それを詳細に先生に報告した。丸石の中に練り込まれた、処々に存在感を放つオレンジ色が、そのストーリーの持つ柔らかな自癒の力と共鳴して、ぐっと彩度が高まったように感じられる。慈愛に満ちた、他者と世界を共有するという温もりの感覚。それがこの石の持つ本質だと思います。私はそう答えた。

 

鍋のなかの子犬

コーンポタージュのような、淡いクリーム色の液体を鍋に入れ、火を着ける。ゆっくりと温められていく過程に、私は鍋から離れ、部屋の中にいるはずの三匹の犬を探す。二匹は元気に戯れていた。もう一匹の、家に来たばかりの子犬が見当たらない。私は鍋へと戻り、液体をゆっくりとかき混ぜ始める。

その瞬間、瞬きよりも短い刹那に、何かの気配がさっと目前を過ぎったような気がした。黒っぽいエネルギーが、サブリミナルの映像のように脳裏を駆け抜けたけれど、それが何かは解らない。私は訝しさを飲み込んで、液体を混ぜ続ける。

液体が煮立ってきて、混ぜている手に重たく感じられるようになる。ふっと嫌な予感が走り、鍋の中を覗き込むと、丸くなった黒っぽい毛のようなものが見え隠れする。事態を認識できず、数秒を突っ立ったままでやり過ごした後、慌ててシンクに鍋の中身をひっくり返す。シンクの中にはまだ洗っていない皿が浸かった桶があり、その中を目掛けて鍋を逆さに振ると、煮え立ったスープと一緒に子犬が流れ出た。水道の蛇口を全開にして桶の中に流し込み、子犬を冷やそうとする。黄色い液体が流れ落ち、子犬の焦げ茶色の毛が露わになって来た。心の中に冷汗が流れる。子犬はもう命がないかもしれない。震える心を抑え、子犬の顔の辺りを拭ってやると、黒くつぶらな目がパチリと開いた。

流してしまったスープは、二度と食す機会のないとても高価な珍味だということがわかっていた。それを全部流してしまったことが一瞬念頭を過ぎり、そんなものを一瞬でも気にした自分自身が心から憎く感じられた。子犬はすぐに意識を取り戻し、元気に身体を振るって水気を振り飛ばした。

 

接写

私はその人の顔が見られない。恥ずかしいからか、怖いからか、愛しすぎるからなのか、解らない。目を背け、逃げ続けているのに、そうすればするほど彼の顔が明確に瞼に映り始める。マクロレンズで接写するように、目元の皺の一本一本、鼻筋や小鼻の形、笑うと密やかに動く口元の皮膚、それらを拡大して観察するように、ひとつひとつが意識に深く刻まれていく。

何百枚、何千枚の記録写真を連写し、全てが私の体のどこかに格納されていく。そのファイルの在処は、頭脳ではなく、どこか体の奥深く、自分でも把握できない黒い黒い小宇宙の中。

 

脳内ハッキング

職場に持ち込んだぬいぐるみや人形が幾つか。自分の癒やしのために並べていたその子達をじっと見つめていると、昼間の何時間しか一緒にいないのに、彼らに苦痛を強いているような気分になってくる。家に連れて帰ることを決め、大きめのトートバッグに彼らを入れ、駅へと向かう。バッグにはジッパーがなく、上から見るとぬいぐるみの頭が見えている。それを隠すため、脇に抱え込み背を丸める。

ホームはガラガラで、まだ電車の来る時間には遠い。先頭車両の止まる位置だけ人が多く、行列が出来始めている。そうだ、到着したあと先頭車両が一番改札に近いんだった。何十年ぶりに電車に乗るように、記憶の奥底から泥だらけの古い鍵を掴み上げるように、そのことを緩やかに思い出す。

電車に乗り込むと、一斉に椅子取りゲームのように人々が座席目指して突進する。狹い空席にお尻をねじ込もうとする。隣に座ろうとした女性とほぼ同時で、どちらも譲らず、窮屈に肩をぶつけ合って座ることになる。私はバッグの中が見えるのを危惧し、それを抱えて前かがみになる。

「かわいそうに、その子達が窮屈だと言ってるわよ」意識の中に声が響いた。隣の女性が発しているものと気づく。「何を恥ずかしがってるのかしら、馬鹿みたいに」私は彼女の頭の中をハッキングしているのだろうか? 次々に隣の女性の考えていることが意識に流れ込んでくる。私はより頑なにバッグを強く抱え込み、耳を塞ぐことも出来ず、やり過ごすしかない。

自宅マンションに向かうと、隣の女性がついてくる。マンションは鉄骨が剥き出しで、まるでステンレスラックに四角い石鹸が並んで乗せられているように、ひとつひとつの部屋が独立して鉄骨の上に並んでいる。知らないうちにこんな形状に建て替えられてしまったのかと驚く。
女性はマンションの管理人らしい人に声をかけ、親しげに談笑を始める。その様を横目で見ているうち、彼女の発する声が意識の中に聞こえた声と全く同じと気づく。もしかして、彼女は実際に声を出して、私に話しかけていたのでは? 私はそれを頭の中だけに響く声と思い込み、完全に無視してしまったのでは? 疑いが次第に膨れ上がってくる。

 

芽吹き

体中のあちこちの毛穴から、小さな芽が出て、緑色の細かい葉が茂りだす。胴体や腕、脚のあちこちに、圧力に耐えかねたように次々と芽吹いてくる。肌の上に隆起してくる緑色の異物。苔みたいに平らに浸食して来て、鱗となったように肌を覆う箇所もあった。陰毛の辺りには特にたくさんの葉が茂っていた。寝返りを打った際に気づき、俄に受け入れられずに、しばし呆然とそれらを見つめていた。

コンクリートの割れ目から伸び出してきた雑草を抜くように、恐る恐るひとつの芽を抜いた。肌の内側から灰白色の細かい根が抜き取れた。毛穴は毒虫に刺されたようにぷくりと膨らんだ。ひとつ、またひとつと芽を抜き取っていく。次第にそれに夢中になっていき、目を皿のようにして体のあちこちを探す。すべて抜き終えたあとには、肌の上にランダムに配置された、たくさんの赤紫色に滲んだ突起が表出した。
治るだろうかと不安になり、皮膚科に行かなくてはと考える。なにか悪い病に罹ったのではという懸念がふつふつと湧き上がる。

病院へと出掛けた私はなぜかベーカリーに寄り、父のための菓子パンを買わなければと思う。父の好みに合わせたパンをいくつか選び、トレイごと店の外へ持ち出した。たくさんのパンを抱え込んで、淡いピンク色のトレイを路端の茂みの上に放り出す。同じように投げ捨ててある薄汚れたトレイがいくつかあった。小走りで信号を渡ろうとする。腕の中からこぼれて、横断歩道の上にパンがいくつか転がる。みるみるうちに、パンは無関心なタイヤに冷たく踏み潰された。一人の親切そうな女性が振り返り、その様を気の毒そうに見ていた。


ひどい偏食の父のために、好みのパンを買いに走ったことがよくあった。そんなことが今頃夢に出る不思議。皮膚科に行こうなんて、夢の中なのに妙に理性的で辻褄が合っているのも可笑しい。