あれこれ下調べをして、悩んだ挙げ句ようやく注文した品が届いてみると、どうにも気が進まずに段ボール箱を開けられない。ひどいときは何ヶ月もそのまま放置したままだったりする。新しいパソコンが届いたときは、データ移行やら新しい設定やらが特に面倒くさくて、壊れかけていたキーボードが完全に壊れて使えなくなるまで旧い物を使い続けていた。服なども、届いた包を開けられないままシーズンが終わってしまって、来年まで寝かせる破目になったりする。
先日読んだ『世界は私たちのために作られていない』(ピート・ワームビー著)にまったく同じような内容が書かれていて、これももしかしてASDあるあるなのかな?
「自閉症的無気力」と言うらしい。一般的な人が自動車をUターンするくらいの手軽さで方向転換できるの対し、ASD者は遠洋船のUターンのような速度でタスクを切り替えることしかできないので、時間も忍耐力も必要になる。脳がひとつの現実から次の現実に対し適応できない状態で、焦点を移すのが苦手なのだという。
著者も、発売前からワクワクして待ち詫びて、過剰なほど興奮していたゲームをようやく手に入れると、その途端にプレイする気がなくなってしまったりするそうだ。その感覚はなんだか良くわかる。私も、古くなったフライパンが使いづらくて今度は長持ちする良いものを買おうとあれこれ考えて注文したのだけれど、段ボールのまましばらく積んであって、昨日ようやく段ボール箱を開けて内箱を取り出し、その内箱をキッチンに持ってきて、いま現在未開封で置いたままになっている。
段ボールを開けるのに、まずもの凄いエネルギーが要るので、そこで一休みが必要だった。今まで使っていたフライパンはこびりつきやすくなっていて洗うのも大変なのだけれど、新しいものに適応する心のエネルギーを絞り出すよりも、ゴシゴシと時間をかけて洗わなければいけない肉体的な面倒のほうがずっとましなのだ。
使い慣れたものを新しいものに取り替えるのはいつでも、ひどく気合が要る。フライパンを替える程度の簡単なことがどうしてこんなに大変なのか、気が重くくたびれることなのか、自分はどうしていつもこうなのか? とずっと理解できなかった。些細なことであるかも知れないけれど、またひとつ自分の謎が解けた感じで、ちょっぴり気持ちが軽い。
他にも、電灯が壊れて点かなくなったら、ASD者はそれを直すことよりも、その明かり無しで生活することに適応しようとするだろう──などと、自分のことを何処かで覗き見ていたのかと思うような、言い当てられて擽ったくなるような内容もあった。状況を変えることには自分でも理解しがたいくらいの労力が必要だから、いまあるなかでの解決法を模索するほうがはるかに楽だ。
これも、多くの人は小回りの利く軽自動車のUターンだけど、私は巨大な遠洋船だからすぐには出来ないのだ!と考えれば、単なる個性の違いになる。多様性の問題で私の問題じゃないと開き直ることができる。
今夜も炒め物を作って、使い慣れたフライパンをごしごしと苦労して洗った。リンゴなどを包んである白いネットをとっておいて、こびりついた汚れ物の下洗いに使うとスポンジが汚れなくて便利なんだって。