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Dépôt de Météorites

三枚におろす

両脚を揃えてみると、左脚の方がかなり長かった。いつからこんなに脚の長さに差ができてしまったのだろう。歩くと体が安定せずガタピシして、うまく歩けないので、病院に行った。

対応した医師は、かかりつけの歯科医によく似ていた。その医師はいつものようにぶっきら棒な口調で、脚の長さを揃えたいですか?と訊いた。私は、はい揃えたいです、と答えた。それが手術を承諾したことと認識され、知らないうちに手術が始まった。
左足の足首から下の部分が、魚のように三枚におろされた。ハンバーガーで言えば、中のハンバーグが抜き取られ、上下のバンズが接着させられた形。たしかに左足の厚みが減り、結果として脚の長さも短くなるのは当然だった。
接着した跡は赤く線が残っていて、指でなぞるとかなりへこんでいた。見事に無様になった左足。歩いてみると、なるほど普通に歩けるようになっていたけれど、納得がいかない。

いつもこんなことばかりだ。問いかけに答えると、私の意図とは違う答えと認識される。私は手術を承諾した覚えはないけれど、たしかに脚の長さを揃えたいとは答えた。医師は脚の長さを揃えるということは手術するということだと捉えた。この認識の行き違いのようなことが、あまりに頻繁に起こるのはどうしてだ! とひとり憤慨した。

すみっこ暮らし

野草を食することの素晴らしさを語っているテレビ番組を見て、試しに食べてみるかと思い立ち、庭に出た。家の庭は現実のものより広く、畑のようだったけれど、畑のような秩序がなく、あちこちに不規則に何かが植えられている。モグラ叩きの穴みたいだ。その穴にすっぽりと、得体の知れない植物が収まっているように見える。空を見上げると、雲が小さく見え、目に映る何もかもがいつもより遠くにあるような気がした。太陽も一回り小ぶりで、かんかん照りの割に不思議と肌寒い。

巨大な小松菜のような草があり、私はそれを引っこ抜いて、室内に抱えて持ち込んだ。両腕でようやく抱えあげられるほどの大きな株。部屋の隅、テレビの後ろにその草の指定席はあった。その草は自らそこを好み、そこに落ち着いたように思えた。

毎日少しずつ、葉を剥がして食べた。生で、炒めて、スープに入れて、様々なやり方で調理してみたけれど、その草はどうやっても美味しく食べられなかった。それでも私は変な責任感を覚えて、毎日その草を律儀に食べ続けた。巨大な株はなかなか減らない。部屋の隅に根を生やして、住み着いてしまったかのようだ。株を持ち上げてみて、根付いていないことを確認して安心する。でも、このままでは食べきれないうちに腐ってきてしまうな、どうしよう。

ある日、いつものように葉を剥がすと、株の中から数えきれない虫が湧いて出てきた。虫は大中小、いろいろな大きさのものがいて、白い壁に無数の虫が競って這い出すさまに鳥肌が立つ。草の霊が孵化し、無数に分岐して具現化した結末。
とうとうこの日が来た。こうなるだろうことはわかっていたのに、何も対処が出来なかったことを、どこか遠くで悔やんでいる。感情のすべてがぼんやりと遠くにある。
殺虫スプレーを持ってきて、虫に向けて噴射する。一秒ほど白い煙を吐いたあと、スプレー缶はすぐ空になった。

 

オーディエンス

家でテレビを見ている。画面にはライブイベントのような映像が映っていた。母がやってくる。私はその映像を見ていることがとても恥ずかしくなる。

私はそのライブ会場にいる。次々とアーティストが壇上に現れては去っていく。たくさんの出演者の中で、ついにその人が出てくる。胸が締め付けられる思いがして、息ができない。その人を直視できず、目を逸らした。会場は沸き返り、その中で私はひとり、湖面に投げ込まれた小石のように暗く沈んでいく。
彼が客席に降りてくる。最前席の人々の手を取り、次々と握手を交わしている。笑顔がぎこちない人のはずなのに、ペ・ヨンジュンみたいな完璧な微笑みを返している。私は余計に怖くなる。席を立って、遠く、彼から見えないところに新しい席を探す。空いている席を見つけても、どれも先約があり、断られる。ようやくみつけた隅の方の席に身をうずめる。
愛おしすぎて、気づいてもらえないことが怖い。気づかれず素通りされるくらいなら、見えないところにずっと隠れていたい。

夜の公園で、背の高い木に巨大な白い花がたくさんついているのを見上げている。マグノリアだろうか?と思ったけれど、見れば見るほどグロテスクな、巨大な百合のお化けのような花だった。真っ赤な雄しべがヒルか何かのようにうごめいて見えた。黒ずんだ緑色は闇に溶け出して、輪郭がはっきりしない。葉の総量に比べて、明らかに花のほうが多数で、均衡を欠いている。こぼれるように咲いているというよりも、花に寄生され、乗っ取られてしまったかのようだった。
一本の枝が、そこから逃れるように不自然に長く枝を伸ばしていた。天に達するほど伸びた一本の枝は、天に接続されたコードのようにも見えた。逃げるコードを追いかけるように、白い花が次々と開花した。
世界が涙で霞んで見える。

北側の小窓の前に佇み、家の外をぼんやりと見ている。観客の一人だった自分を思い起こす。
あの人が私を傷つけ苦しめるのなら、それはあの人ではないってことだ。本物ではないってことだ。傷が癒やされるのが本物なんだ。それが試金石になる。
そう思い直し振り返ると、彼がふっと現れて、私を抱きしめてくれる。背後にオーディエンスが何十人もいて、守護天使のように見守っていてくれる。北向きのトイレの前の窓辺は、人口密度が異常に高くなった。

猫になる

有名な悪魔のD閣下が、教室を見回した。数十人が着席する中、私に視線をとどめて溜息をついた。こいつは駄目だ、子猫のように飼ってやるしか無いな、と彼は言う。出来が悪すぎて匙を投げられているのか、大切に思われているのか、どちらか全くわからない。
子猫のように飼われる自分を想像する。飼い主次第では、世界中のどんな存在よりも幸せな気がした。密やかな悦びが私を満たした。


お昼のテレビ番組でD閣下を拝見したら、なんと夢にも出演してくださいました。猫になって誰かに大切に飼われてみたい。

変わっている人

東大野球部に入り、そこで活躍して注目を集めプロ入りするという青写真を描き、実際そのとおりにプロ選手となった人物の伝記的な映画を観る。主演はなぜか韓国人俳優のK。

普通なら強豪校に入ってそこで鍛えられることでプロを目指そうとするだろうに、Kは生まれつき独特の考え方をする人物だった。必死に勉強して東大に入り、その野球部で群を抜いた活躍をすることで世間に注目されるという道を選択した。実際にKはそこで活躍し、例年よりも東大の戦績を向上させた。メディアがKについて取り上げ、彼は一躍時の人となる。そして思い描いたとおりにドラフトで指名され、プロ選手となった。

彼の独特の人となりを、周囲の「普通の」人々との対比の中で描き出している。彼の家族や恋人も、それぞれ一癖ある人物で、世間の常識的な考え方に与しない。それぞれに尖っているのでぶつかりあうことも多いけれど、最終的に「変わっている」人々は変わっているがゆえにお互いを深く認め合う。

入団した彼はインタビューを受ける。どうして敢えて東大に入ってプロを目指そうとしたのですか? それをあらかじめ心に決め、実際に実現なさいましたが、一体何がそのような道を選ばせたのですか?
彼は答えた。緻密な計画を立てて策略をめぐらしたかのようにおっしゃる方が多いのですが、特に深く考えてこうしたわけではないんです。ただなんとなく、こうしなければいけない気がして、自分の内側の声に従っただけなんです。僕は頭空っぽなんですよ、ほんとに。
フラッシュが焚かれる中で、緊張し、はにかんだ笑みをこぼす彼は、自分に何が起こっているか本当によくわかっていないような顔をしていた。長く伸ばしたままの髪を後ろでひとつに結んでいる。それが彼のトレードマークになった。